2018年12月30日日曜日

◆Make It Happen!…さあ、願いを実現させよう!◆

2019/1/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

お正月には、普段は信仰心の無い人までが、初詣に…というのは、いかにも日本の光景です。テレビでは、ぞろぞろと何千、何万人の人がお参りのために参道を歩いていく様子が映し出されますし、皆、見様見真似でお賽銭を投げて、一年の願掛けをする訳です。しかし、そこでの祈りをどれほど真剣に捧げているか?と言えば、“ま、そういうものですから…”と、あやふやな答えしか返ってこないはず。文化や慣習としての初詣は確かに残っているのですが、そこに本当の信仰心があるのかどうかは怪しいものです。


私が大学生の頃、どのように年越しをするか、と友人たちと話をしたことがあります。お寺の除夜の鐘を聴きつつ、夜中の神社に向かう…といかにも宗教のごちゃまぜになった典型的な日本人らしい答えの友だちもいる訳で、私は、自分はクリスチャンだから、当然、教会で神様に祈りながら年を越すし、元日には新年礼拝も必ず守る…と説明しました。すると、ある一人の友人が、自分はいつも普段しないことをしながら年を越す、と言います。例えば?と訊くと、前回は阪急電車の中で逆立ちして、年越しの瞬間を迎えた、とのこと。そういうのが、年越しの流儀なのだとか。それはそれで、若者らしい他愛もないことなのですが、人生をしっかりと生きることに目が開かれて、新たな一年を真に価値ある、幸せなものにしようと考えるなら、もう少しちゃんとした仕方で新たな日々を受けとめたいと思いませんか? ぜひ、そうしましょう!


2つのことを心にとめてください。一つ目は、これです。400年を超えるエジプトでの奴隷生活からの解放を求め、いよいよその奇跡が神様によって実現しようとする時、イスラエル人の指導者として選ばれたモーセに対して、神様は次のように言われました。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」(出エジプト12:2)と。すなわち、私たちに与えられた時を、神様が働かれ、偉大なみわざを成してくださる時として、しっかりと受け入れることです。ただ、何となくの新年で終わらせるのではなく、神のみわざの成される年、恵みの日々となることを意識することです。


次に、本当に信じたとおりの恵みが現されるよう、信仰を持って祈り、真剣なこだわりを持つことです。最初に祈りはしたが、その後、いつのまにか忘れてしまうような中途半端な目標ではなく、しっかりと実現することを見るまで、信仰を貫き通したいと思います。聖書は明確に、神様からの預言は成就し、約束は叶えられることを証ししています。祈りは、答えられるのです。夢は実現します。だから、あなたの祈りの願いが実現するまで、簡単にあきらめてほしくないのです。


さあ、信仰によって事が成ることを、しっかりと体験する2019年としましょう。時代も平成から新たな時代へと進んでいきます。あなたの信仰生活も、さらに力強く神様からのみわざを体験するものへと飛躍されますように。ただ何となく信じるというのではなく、そう「Make It Happen!…願いが実現すること」を体験しましょう。主キリストは、必ずあなたと共にいて、あなたを支え、素晴らしいみわざを成してくださいます。あなたの新たな一年の日々に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りします。


“主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、
何と幸いなことでしょう。”
(新約聖書 : ルカの福音書1章45節)

2018年12月21日金曜日

メリエスト・クリスマス!…最上のクリスマスを!

2018/12/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。

 クリスマス、おめでとうございます。今年は例年には珍しく何だか秋が長かった印象なのですが、それでもクリスマスが近づいて来て、やっと冷え込んできました。あなたのクリスマスの日々に、クリスマスの主役である主キリストご自身からの恵み、喜び、平安が豊かに注がれますように。あなたに最上、最高のクリスマス…Merriest Christmas(メリエスト・クリスマス)…が訪れますように。



「災」の2018年!


 2018年、今年の漢字に「災」が選ばれました。これは、私の予想通り。ラジオの番組の中でも、きっとそうなるよ…と話していたのですが、まさに予想通りの展開でした。と言っても、そうなるのが誰の目にも当然のような2018年の日々だったからです。

 特に、6月の大阪北部地震では登校途中の小学生の女の子が倒れたブロック塀の下敷きになり犠牲に…。七夕の時期には西日本の広範囲が集中豪雨の被害に。広島、岡山、愛媛など、瀬戸内の自然災害の少ないとされていた地域で、何と200名を超える犠牲者が出ました。夏の間は、相次ぐ台風の被害で、関西空港が水没したりで毎週のように被害が出ましたし、9月の北海道の大地震では全道の電気が止まり、社会生活に大きな影響が出ました…。と確かに、「災」の一文字が選ばれるのも尤もらしい一年だったのです。ただ「平成」最後の一年が、「災」で締めくくられるというのは誠に残念なのですが。



あなたの一年は大丈夫?


 …と、ここまでは世の中全体の「災」の話なのですが、あなたのこの一年はどんな一年だったでしょう? あなたの毎日まで「災」や「禍」の連続となっていませんように。本気で気を付けておかなければならないのは、私たちのいのちは常に“関係性”の中に置かれ、生きているという事実があるということ。すなわち、どれほどあなた自身はしっかりと頑張っているつもりでも、周囲の人々や置かれた環境から、少なからず影響を受けてしまうものだということ。

 不機嫌な人々に囲まれていれば、あなたの心も明るくなるよりは暗いものになりがちですし、不況や災害、犯罪のニュースが溢れていれば、私たちの心も自ずと重いものになってしまうのです。だからこそ、まずは周囲がどうであれ、自分自身の心の平安と喜び、感謝の状態をちゃんと維持できる精神的、霊的環境を整えておくことが大事になります。



「闇」から「光」、「災」から「幸」へ!


 私が、聖書の語る“福音”にこだわり続けるのには、理由があります。それは、「闇」を「光」へ、「災」を「幸」へと実際に変える力が聖書の語る“福音”にはあるからです。この“福音”の中心が、言うまでもなく、神の御子、主キリストが私たちの救い主としてこの世に現れてくださり、十字架において救いの道を整えてくださったという事実なのです。確かに、私たちを取り巻く「闇」は存在していても、「すべての人を照らすそのまことの光(ヨハネ1:9)」であるお方が現れてくださったというのです。



救い主と共にある奇跡!


 主キリストの誕生を祝うクリスマスが、2000年も祝われ続けてきたのには理由があります。ただ、何となく楽しかったからではありません。この救い主が、簡単に名前倒れしてしまうような陳腐な存在ではなく、この方を心に信じ受け入れた人々は、確かに救われ、人の力を超える神の恵みを体験することができたのです。

 旧約聖書のイザヤ書9章には、イエス・キリストの誕生に先立つこと700年以上も前に書かれたものでありながら、この救い主誕生の預言とされる言葉が記されています。その一節に、
やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に
光が照った。
(イザヤ書 9章2節)
とあります。救い主の誕生する何百年も前から、「闇」が「光」へと変えられることは約束され、そして、今、主キリストの誕生以来、2000年経った今日においても、「災」は「幸」に、「死」は「いのち」に変えられる奇跡が起こるのです。このことが歴史の中でずっと起こり続け、今も世界のあちらこちらで起こっているからこそ、クリスマスの祝は様々な歴史の波や社会の変化に揉まれつつも、今まで続いてきているのです。



救い主キリストにより引き起こされる変化!


 主キリストがもたらしてくださる恵みは、単に宗教的な概念に留まるものではありません。実は、あなたも自分の人生の歩みの中で自らの身をもって体験することのできるものなのです。救い主キリストと、あなたの人生の接点が生み出す奇跡の可能性に気付いてください。

  1. 「嘆き」が「踊り」に変えられる!(詩編 30:11)
    物事がうまく運ばず、嘆きや悲しみに暮れることが誰にでもあるもの。しかし、神の恵みに触れる時、喜びや踊りたいほどの感謝に満ち溢れる、という奇跡が起こり得るのです。

  2. 「いなくなっていた者」が「見出される」奇跡!(ルカ 15:24)
    人間関係でも、自分の大切な仕事でも、あれほど大事だったのに喪失する、失うということが起こります。しかし、それを主キリストの愛は回復させてくださるのです。

  3. 「失われていた者」が「救われる」恵み!(ルカ19:10)
    自分のやり方で猪突猛進しても、神様から離れて行くばかり…ということが起こります。本当の平安のある神の臨在への復帰ということが主キリストによって可能になります。

  4. 「見えなかった者」が「見えるようになる」祝福!(ヨハネ 9:25)
    人生の光を失い絶望する以外に選択肢のなかった人であっても、主キリストと出会う時に光を見、人生の歩むべき道筋が示されるのです。新たな歩みが実現します。

  5. 「死」が「不死」へと変えられる奇跡!(第一コリント 15:54)
    人生の最後は死、絶望のみ、という究極の運命を、主キリストはご自分のいのちを捨てて、永遠のいのち、不死の世界への扉を開いてくださいました。死が終わりではないのです。



救い主キリストとの接点を持とう!


 あなた自身が、本当のクリスマスの喜びを体験するためには、単に上っ面の騒ぎや演出だけのもので終わらせず、救い主キリストとの心の接点を持つことです。主キリストがこの世の罪を取り除くために来られた…という物語を、私の罪を取り除き、私の「闇」に「光」を照らしてくださる、と個人的な出来事としてとらえることです。

 人は、それぞれの個性があり、人生も様々です。が、共通して言えることは、誰もが弱さや足りなさを有し、力不足を感じることがあるということです。完全だと言える人は一人もいませんし、実は、聖書の言う通り、人は誰もが罪人なのです。だからこそ、救い主キリストの「光」をいただく時に輝き、本来の「いのち」の喜びを体験することができるのです。と言うことは、あなたも救い主キリストとのしっかりとした出会いと交わりを持つことができれば、「闇」から「光」、「災」から「幸」への劇的な変化を受けとめることができるのです。このクリスマスに、あなたの心で、救い主キリストのいのちをしっかりと受け止めてください。そこから、あなたのための奇跡の物語がきっと動き始めます。



さあ、ご一緒に祈りましょう!


さあ、次の祈りを、あなたも一緒に祈ってみてください。

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天の神様。私が体験している今年のクリスマスが、ただ慌ただしく過ぎ去るもので終わりませんように。

あなたが、私の人生のために用意してくださっている救いと恵みのご計画を、しっかりと受け止めることができますように。

私の心を、信仰で整えさせてください。

主イエス様。あなたが私の救い主となるために、この世に現れてくださったことを、心から感謝します。

私の心は、あの馬小屋の飼い葉桶以上に汚れているかもしれません。

そんな罪深い私の心にも宿り、罪を清め、救ってくださったことを、心から感謝いたします。

聖霊なる神様。どうか私を救いの喜びに満たし、力を与えてビジョン、目的のある人生を歩ませてください。

私の心をいつも喜び、祈り、感謝で満たし、信仰による真の可能性のある毎日を歩ませてください。

私の口に、いつも讃美と感謝が満ち溢れていますように。

主キリストのお名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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 心配や不安が膨らむ前に、何事も、まず祈ることです。祈ることで、問題は必ず解決に向かいます。神様は祈りに答え、助けてくださり、守りと祝福を現してくださいます。常識を超える、神様からの力や助けを信じ、それを実際に体験してまいりましょう。
 さあ、私たちはどのような場合でもクリスチャンらしく、神様に目を向けて、信仰を働かせてまいりましょう。信仰による勝利を体験しましょう。

 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。

2018年12月1日土曜日

◆“最強のクリスマス”をあなたに!

2018/12/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より



  • “最強のクリスマス”などと言うと、確かにちょっとヘンテコな表現なのですが…。でも、そんな力強いクリスマスの祝福を、あなたにもしっかりと受けとめてほしいのです。聖書が語るオリジナルのクリスマス、正真正銘のクリスマスは、そんなふうに表現して良いほど、力と可能性に溢れたものなのです。

  • クリスマス・ツリーを可愛らしく飾る…、街には美しいイルミネーションが輝く…、商店街を歩けばどこからともなくクリスマス・キャロルの調べが響いてきて…、楽しいクリスマス・パーティーを企画して心がウキウキして…、もちろん、愛する人々へのクリスマス・プレゼントを心を込めて用意して…、サンタクロースに扮して子どもたちに配り…と、どれもクリスマスに関わる温かなイメージですし、悪いものではありませんし、むしろ良いもの、人の心を幸せにするものです。しかし、それがクリスマスの本質か?と言えば、そうではありません。実は、もっと力に溢れたものなのです。

  • 世界で最初のクリスマスから2000年も経つと、クリスマスに付随するイメージはいろいろな方面に拡大し、中には歪められたり、全く的外れなものまで生まれてきます。たとえば、田舎町の教会で、玄関先の木にクリスマスの飾り付けをしようとしていた牧師さんに、近所のおじさんがそのツリーを見上げなら言ったというのです、「へぇ~、最近は教会でもクリスマスをするんですかぁ?」。あるいは、最近の女子高生同士の会話では、「イエス・キリストって、めっちゃラッキー! だってクリスマスに生まれたから、きっと誕生日ごとに、みんなからたくさんプレゼントもらえるよね?」。あるいは、ある社長さんは、年末の資金繰りや支払いに必死の折、“クリスマス”が“苦します!”にしか聞こえず、“苦します!苦します!”と嫌な響きでしかなかった…とか。

  • “クリスマス(Christmas)”とは、“キリスト(Christ)”と“儀式、祭り(mass)”の合成語で救い主イエス・キリストの誕生を祝う時…“キリスト祭り”を意味します。聖書は、私たちすべての人間の持つ罪や心の汚れを清め、罪を背負って十字架に掛かり、身代わりの死を遂げるために、この世に現れてくださった神の御子、救い主キリストの事実を記しています。神の御子が、救い主として、一人の人としてこの世に生まれるなど、考えられないことでした。そもそも、神の恵みと愛の世界と、愚かで罪深い人間の世界が接点を持つこと自体が、絶対にあり得ない出来事なのです。それを、神の霊、聖霊が働きかけ、不可能を可能にしたのです。そればかりか、この救い主を心に受け入れた人の心や人生にも、人の力の限界を超えた、神による可能性、聖霊が力強く働き、死や絶望、限界や敗北に代えて、大きな恵み、奇跡までもが実現していく、というのです。

  • もっと端的に言えば、この文章を読んでおられるあなたにとって、絶対に不可能で起こり得ないはずの、あなたの弱さを克服し、くじけやすいあなたの心を強め、決して色あせることのない幸せや喜びを実現し、不可能を可能にする神の力が、クリスマスの事実を受け入れるあなたの上にも働く、というのです。クリスマスには、単なるほのぼのとした温かなイメージ以上の、凄まじい力が、事実として秘められており、それを私たちも実体験することができる、というのです。

  • 男性と何の関係もない自分の身体を通して救い主が生まれる、などという荒唐無稽なことは起こらない、と断じるマリヤに対して、御使いガブリエルが語った言葉は、実は今も、私たちに対して有効なのです。ここに、“最強のクリスマス”を宣言する根拠があります。そして、あなたにも、この“最強のクリスマス”の秘訣を受けとめてほしいのです。救い主イエス・キリストの奇跡を、あなたの心で受けとめてください。あなたの心、魂、人生の中に、神の恵みと救いの世界、限りない聖霊の力と可能性の世界が動き始めます。だから、…クリスマス、おめでとうございます!

“…神にとって不可能なことは一つもありません。”
( 新約聖書 ルカの福音書 1章37節 )