2020年6月4日木曜日

◆現代の“匿名性”に気をつけよう!

2020/06/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

私は、携帯電話を持つのも周囲の人に比べて遅かったですし、自分でSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)をし始めるのも、随分、あとになってのことでした。“ガラ携”からiPhoneに変えたのがわずか4年前。そして、Facebookを始めてからまだ3年半です。それが今では、きちんとデスクに座ってパソコンを開いて仕事するよりも、手元のスマホの画面を見てメールの処理をしたり、交通や宿の手配をしていることの方がすっかり増えてしまいました。


SNSを始めようとした時、何をメインにするかを、結構、悩みました。当然、私が選んだFacebookのみならず、TwitterもLINEも、Instagramもありで、取っつきやすさや影響力の違いやユーザー層の違いも頭に入れて選ばなければなりませんでした。その結果、オジサンやオバサンがユーザーに多いですよ、とか、文章を多めに書かなければいけないパターンになりますよ…とマイナス面もかなり言われたのですが、結局、今もやり続けているFacebookを選びました。鍵は、参加者たちが一応“実名”で登録していることが基本、ということでした。


インパクトのある写真があれば若者たちがすぐに食いついてくるInstagramも、ちょっとした“つぶやき”が全世界に広まり得るTwitterも面白そうだったのですが、それぞれの“匿名性”がちょっと気にかかりました。考えれば考えるほど、“匿名”でのやり取りは恐いなぁ…と直感的に思われたからです。


そんなSNSの世界が、今、大荒れです。有名人、著名人のTwitterなら何かにつけ“炎上”することも当然、有名税みたいなもの…そんな空気になりかけていたのですが、テレビで人気のリアリティー番組に出演した女子プロレスラーがバッシングのメールを多数送りつけられ、とうとう自殺してしまいました。政治の世界でも、安倍首相自身がさほど肩入れした事案でもない、検察庁人事に関する手続きがやり玉に挙げられ、検察権力まで牛耳ろうとしている凶悪な独裁者に仕立て上げられ、猛反発の嵐に…。500万、1,000万もの抗議リツイートに対して、Twitter社自体が調査の上、そのほとんどが少数の人々によって仕掛けられたフェイクであることを確認しつつも、大手マスコミも便乗する形で大“炎上”状態を作り出し、大きな政権批判へと発展しています。


原因やそれぞれの事態に絡んだ要因はいろいろと指摘できます。しかし、私が恐ろしいと感じる問題の根源に“匿名性”があります。人は、自分が誰であるかを隠して、発言したり、何かを仕掛けることができると分かると、潜んでいた罪の性質が如実に出てしまうのです。言葉が荒くなり、傷つけるようなことを平気で口にしたり、普段は穏やかな人が破壊的、暴力的になってしまうのです。知らぬ間に、悪魔に心を操られることになってしまうのです。特に、インターネット上では、信じられないほど凶暴で、破壊的な言動を発することにもなるのです。


人は、神様としっかりと向き合うことによって、本来の自分らしい、正しい生き方をすることができるのです。神様から隠れて、“匿名”の誰かになりすまして、物事を適当にやり過ごそうとする思いは、悪魔に隙を与えてしまい、決して幸せを生み出すことにはなりません。いつも神様の前に、偽らざる“あなた”がいることが大切なのです。


“私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、
私はゆるぐことがない。”
(旧約聖書:詩篇 16篇8節)



2020年5月27日水曜日

真に霊的なものを求めよう!

2020/05/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。

 新型コロナ・ウィルス感染症との戦いが続いています。全国に “緊急事態宣言” が発令され、ゴールデン・ウィーク後も延期されていた状況から、39県での解除がなされ、もしかすると、この手紙が皆さんのお手元に届く頃には、残る東京などの “特定警戒都道府県” も解除が視野に入ってきているかもしれません。何とか “第1波” をしのいだ…ということなのでしょうが、今度、経済や社会の機能を回しつつも、起こり得る “第2波” 、 “第3波” に対する用意も怠らないようにしたいと思います。そんな緊張の日々を生きるあなたの生活に、主キリストからの守り、導き、支え、力が注がれますように。



 “巣ごもり”ブームの中で! 

 “緊急事態宣言” 下で “外出自粛” 、 “人との接触8割減”、 “テレワーク” 、 “ソーシャル・ディスタンス” 、 “休業要請” …と、今まで予想もしなかった中身の日常となりました。SNS上では、何等かのテーマでのリレー・メッセージも広まり、私も何故か “腕立て伏せ” にチャレンジする羽目に…。そんな中で、自分のお気に入りの本を紹介するリレーで、ある牧師先生が、私の父・万代恒雄の本をご紹介くださいました。

 それがきっかけで、その本を読んでみたいという人も現れて…、結果、私もその本を久しぶりに手に取ってみました…「キリストのセールズマン」です。出版されて30年になる本です。でも。久しぶりに目を通すと、とても面白く、恵まれたのでした。恒雄牧師独特の書きっぷりや,今では少々はばかられる様な言い回しも健在で、何よりも素直に恵まれ、楽しく読むことができました。周囲を必要以上に気にしたり、遠慮することなく表現された、力強い信仰に触れることができたからです。たとえ困難や迫害があろうと、迷いなく貫き通す、妥協することのない、気っぷの良い信仰の姿勢が滲み出ていたからです。



 神のものは、神へ! 

 主キリストを妬み、言葉尻を捕らえて訴えようとする敵対者たちに切り返された、救い主の秀逸な言葉が聖書に記されています。あなたも、きっとご存知だと思います。それは、この御言葉。
…カイザルのものはカイザルに返しなさい。
そして神のものは神に返しなさい。
(マルコの福音書 12章17節)

 税金をローマ帝国に納めるべきなのか、どうか?と問われての答えです。納めよ、答えれば、民族の独立や自国の宗教性に誇りを持つユダヤ人からは裏切り者、売国奴だと言われてしまいますし、かたや納めるなと言えば、ローマ帝国に対する反逆罪で告発される、という訳です。そんな八方塞がりの質問に対して、主は何の躊躇もなく答えられました。人々が手にしている銀貨を指して、そこにあるのが皇帝の肖像、銘であることを示しつつ、 “カイザル(皇帝)のものはカイザルへ、神のものは神へ” と指摘されたのです。

 2000年前の世界にも、今の21世紀の社会にも、それぞれのルールがあり、手続きや義務があります。それはそれで無視することもできず、尊ぶべきものもあるでしょう。しかし、どのような時代であろうと、どんな社会であろうと、人が人として生きる以上、神様との関係の中で大切にし、守り通さなければならない大事なものが存在するのです。あなたの心が、生きて働かれる神様としっかりと繋がっていることが重要なのです。



 “新たな日常” の中で! 

 2020年は、誰の予想も超えて、全世界で新型コロナ・ウィルスと戦わなければならない一年となりました。 “新型感染症予防” 、 “新たな治療薬やワクチン開発” など、医学的なテーマが、今の社会での最大の関心事です。だからと言って、神様に対する信仰の持ち方や、祈りや讃美のある信仰生活、教会生活が片隅に追いやられたり、後回しにされて良いはずはありません。

 再開し始めた学校などで、感染症予防のためだからと、子どもたち同士のおしゃべりが禁じられたり、学校内での挨拶の禁止、先生から質問されても返事してはならない、学校では一言も声を出してはならない、ただ黙って授業を聞いていなさい…など変なルールがまかり通っているようです。それは間違っています。それではもはや、学校ではありません。知識の伝達だけが学校の使命ではなく、特に公教育では躾や人間教育に意義があるからです。

 信仰の世界でも、感染症が解決するまで、教会に人は集まってはならないとか、家族が祈り合う家庭礼拝も中止、聖書の音読や声を出しての讃美をしてはならない、教会の兄弟姉妹たちとの交わりは禁止…など、どれほど酷い迫害の時代かと思わせるようなとんでもない “新常識” が、信仰の当事者であるクリスチャンの間で浸透し始めています。理解を超える異常な事態です。そこには、 “カイザル(世の中の理論)” のことばかりを考え、 “神のもの” として、しっかりと神様に向き合う信仰の原則が全く無視されてしまっているからです。神のものは、神にお返しすべきであって、すなわち、神様との関わりは真に霊的な価値を保ちつつ、私たちの実生活の中で実現していくべきものなのです。



 “新たな日常” の中での7原則! 

 さあ、 “感染症予防” には十分気を配りつつ、同時に私たちはクリスチャンとして聖霊の働く新たで新鮮な日常を、祈りと讃美で生み出してまいりましょう。私たちは、この時代において、主キリストを証しする重要な使命が与えられているのですから。
  1. 心から礼拝のある日常を求めよう! (マタイ 6:33)
    あなたの日常から、 ”礼拝” が消えたりしていませんように。私たちは、常に神様を礼拝する場に自分を置きたいと思います。教会で、家庭で、 “礼拝” の機会を求めていきましょう。
  2. さらに聖書を読む習慣を身に付けよう! (ルカ 7:7)
    “巣ごもり” 状態でいて、テレビやゲームの時間だけが延びるのではなく、神の御言葉である聖書に親しみましょう。主からの “御言葉をください” と求める者となりましょう。
  3. 懸念の事柄をしっかりと祈ってみましょう!(第一テサロニケ 5:17)
    何かと心配になることが多い毎日です。あなたの体調、お金のこと、家族のこと…それらをただ心配しているだけでなく、実際に祈ることです。祈る習慣を身に付けましょう。
  4. 献金を怠らず恵みの流れを生み出しましょう!(第二コリント 9:6)
    経済の見通しが不確かな状態で、自ら恵みの流れを止めることがありませんように。周囲の人のためにも、教会のためにも、 “豊かに蒔く” ことから、真の恵みの循環が生まれます。
  5. 自分の時間、労力を神と人のために用いよう!(使徒 9:39)
    自分の時間の中で、自分のことしかしない人が増えています。その結果は、窮屈で委縮した未来でしかありません。神様のために、人々のために精一杯奉仕していきましょう。
  6. 真実の証しを人々と分かち合おう!(第一コリント 15:10)
    “自粛” し過ぎて自閉的になってはなりません。自分の人生に起きた神様からの恵みを、人々と分かち合い証ししましょう。あなたから救いの物語が、さらに広がるのです。
  7. 今こそ交わりを深めてまいりましょう!(ヨハネ 15:12)
    “感染予防” のために人間関係が冷え切っては残念です。お互いのために祈り、主が示された愛を、実際の形にしてまいりましょう。困難な時にこそ、大切な絆は強めることです。



 真の霊性を高めよう! 

 今は連日、新型コロナ・ウィルス感染症の話題が耳目を惹きつけています。そういう時だからこそ、真に霊的なもの、神様に通じるものから目を離してはなりません。信仰を後回しにしてはなりません。私たちのいのちには、神様と関わる重要な霊的な部分があることに気付いておきましょう。

 世の中からの要請や要求が強い時にこそ、神様との交わりにおいて、なくてはならない真に霊的なものを大切にすることです。この緊急時、非常時にあって、あなたの礼拝、聖書、祈り、献金、奉仕、証し・伝道、交わりの姿勢が深められ、信仰が強められますように。私たちは、この時代にあっても、クリスチャンとして、信仰をしっかりと働かせ、神様からの恵みを豊かにいただいて生きてまいりましょう。



 さあ、ご一緒に祈りましょう! 

 以下の祈りを、あなたの声に出して、しっかりと祈ってください。主キリストからの恵みによって、あなたの信仰にも神様からの力が必ず注がれます。

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天の神様。コロナ・ウィルス感染症の不安の中で、いつの間にか私の信仰も委縮し、世の中の論理ばかりで心も生活も支配されていました。
今、私をあなたの愛の中で開放し、恵みと力に満たしてください。あなたとの密接な関係のある毎日を実現させてください。

主イエス様。どんな時もあなたを忘れることがありませんように。
私の人生のどの場面にもあなたが共にいてくださることを教えてください。あなたの御言葉、力、知恵と導きが日毎の生活の中に豊かに注がれますように。
毎日を主よ、あなたと歩ませてください。

聖霊なる神様。今、私を包み込み、平安と喜びで満たしてください。
世の現状に振り回されて、心が狭くなることがありませんように。伸びやかで自由な心を与え、いつも喜びが溢れていますように。私をいつもいのちの溢れる霊的空間に置いて、祝福してください。

主キリストの御名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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問題は、祈り、信じて行動し始める時、必ず解決に向けて動き始めます。主キリストからの最善の答えをしっかりといただきましょう。
あなたの主キリストと共に歩む毎日は、決してコロナ・ウィルスによって妨げられてしまうものではありません。主が、必ず勝利を与えてくださいます。
あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。



2020年5月3日日曜日

◆私たちの手が生み出すもの!

2020/05/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

新型コロナ・ウィルスの感染拡大の中で、日本各地もいまだかつて経験したことのない“非常時”を迎えています。まさに“緊急事態宣言”下の社会です。私たちは、この事態の一日も早い終息を祈りつつ、不自由さの毎日にあっても、なすべきことをしっかりと丁寧に行ってまいりましょう。あなたの心にも、常に平安があり、体調も支えられ、生活の全てが守られますように、とお祈りします。


昨年末、中国・武漢でこの新型コロナ・ウィルス感染症の話題が報告され始めた当初より、いまだその真偽のほどが確かではないのですが、巷で繰り返し噂されている話題があります。それは、この感染症の原因となっている新型コロナ・ウィルスが、野生動物からもたらされた未知のウィルスではなく、元々人の手によって作り出されたものなのではないのか?ということです。


武漢には、中国軍の病毒研究所があり、そこで研究されていた生物兵器に関連する人工のウィルスが誤って漏れ出したのだとか、研究員が感染したことで外部にも広がったとか、あるいは、廃棄されるべき実験で使われた動物が海鮮市場で売られたことからの感染拡大だとか…、インターネットにはずっとその種の話題が流れています。感染当初の中国政府の浮足立った対応はその証拠だとか、新型コロナ・ウィルス開発に関する論文が発表されていたとか、それがすでに削除されたとか、病毒研究所そのものが爆破されて証拠隠滅されたとか、実際にそこで研究開発に取り組んでいたフランス人科学者の告白がなされたとか、このウィルスのゲノム配列が自然界ではありえないパターンのものだとか、疑惑を追及する現地のジャーナリストたちは次々に消息を絶っているとか…、関連する情報は山ほどあります。


もちろん、中国は真っ向から否定。しかし、アメリカなどの情報筋は、確証を得ようと躍起になっているようです。事の真相は、いまだ闇の中。しかし、第2次世界大戦以来の全世界を巻き込んだ戦争だ!と言われるほどの、文字通り未曾有の大災害となったものが、もし人の手によって、人為的に起こされた可能性があると言うのであれば、それは大問題。何でもできるつもりになっている現代の私たちですが、人の弱さとか、不完全さ、そして罪深さということを、もう一度、真剣に問い直さなくてはなりません。


私たちの言動は、一体、何のためにあるのでしょう? 私やあなたの手は、何をするための手ですか? ダイナマイトや放射能、様々なIT技術、遺伝子操作…本来は人類の発展と幸福のために…と唱えられながら生まれたものが、いつのまにか、人のいのちや人類の存在にまで危険な影響を及ぼすものとなってしまっています。自分の気持ちに正直に良いことをしているつもりが、人は本当に弱い者ですから、簡単に悪魔にそそのかされ、善ではなく、かえって悪を生み出し、それも途轍(とてつ)もなく大きな悪を生み出してしまうことがあるのです。あなたの手が、そんな悪に染まることがありませんように。


この緊急時、非常時に、何だかイライラした人、すぐ人に対してキレる人が増えています。文句を言い、批判することばかりが、私たちの生活に増えてきていると思います。十分に注意しましょう。自分の心の思いに、正しい警戒の姿勢を持ちましょう。そして、私たちの行動や言葉、私たちの手が、たとえ小さく見えたとしても、本当に神様の御心に適い、人々に愛を注ぎ、笑顔や幸せを生み出すものとして用いられていくよう、心掛けたいと思います。私たちの小さな手で、一つでも恵みの種を蒔いていきましょう。主キリストの手足となって、行動してまいりましょう。


“あなたがた自身が知っているとおり、
この両手は、私の必要のためにも、
私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。”
(新約聖書 : 使徒の働き 20章34節)


2020年4月20日月曜日

幸せへのブームを作り出そう!

2020/04/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

主キリストの聖名を讃美いたします。

 新型コロナ・ウィルスの感染拡大のため “緊急事態宣言” が全国に発令され、東京をはじめとする13都道府県は “特別警戒地域” と指定され、街中から人の姿が消え、異様な光景が日本各地に広がっています。わたしたちの身体も心も、この感染症の影響を恐れ、不安が世の中全体を覆っています。でも、そんな怯えた状態だけで、あなたが毎日を過ごすことがありませんように。私たちは信仰を働かせて、このような緊急時、非常時においてこそ、主キリストの恵みと助け、癒しと力が注がれることを体験してまいりましょう。



 今、水族館がブームです! 

 お気付きですか?今、水族館が日本各地でブームなのです。各地で新たな水族館のオープンが続いていますし、旧来の施設も改装などが相次いでいます。私の住む四国でも、愛媛県では “森の国” 松野町に水族館ができましたし、今回のコロナ騒動の煽りで正式なオープンが延び延びになっている香川県宇多津の “四国水族館” というかなり本格的な水族館も完成しました。それに、何と、今、松山福音センターのすぐ近くに、水族館建設の話が松山の商工会などで持ち上がっているのです。本当に実現すれば楽しそうですが、果たして運営していけるのか、正直、不安の方が大きく感じられます。

 そんなブームは、実際は誰かによって作り出されているのです。実は、 “町興し、村興し” のネタを求める地方自治体に対して、親子連れの市民を引き寄せる大型開発プロジェクトとして、自分たちで立案した計画を大手デベロッパーが売り込んでいるのです。また、最近、大都市のど真ん中にも水族館が出現しているように、人工海水の登場によって、海辺でなくても維持管理が可能となった事情もブームを拡大し続ける要因となっています。



 新型コロナ・ウィルス感染症もまた、ある種のブームです! 

 新型コロナ・ウィルス感染症も、確かにウィルスによる伝染病ですが、世界中に蔓延した疾病であるという医学的な事実と共に、マスコミやインターネット社会が大騒ぎして全世界に広めた大きな社会現象、そのブームとも言える側面もあります。おかげで、この大騒動により、それまでテレビ、新聞、インターネットを賑わせていた他のジャンルの話題は、どれもすっかり脇に押しやられてしまいました。

 そして今、巷で噂され、論争が盛り上がりつつあるように、もし今回の新型コロナ・ウィルスが中国。武漢の海鮮市場の野生動物からのものではなく、実は中国軍の病毒研究所を発生源としたものなら、新型コロナ・ウィルスそのものが人工的に作り出されたものかも知れず、グローバル化した世界を不安と恐怖に陥れ、社会の様相まで変えつつある今回のコロナ・ショック全体が、作り出された不幸の大ブーム、大流行ということにもなるのです。



 救いと幸せへのブームを作り出そう! 

 お金儲けのためのブームは誰もが仕掛けようとしていますし、不幸のブームもあちこちで起こりやすいものです。だからこそ、私たちは、様々なブームに振り回され、乗せられるだけでなく、真の救いと幸せを体験することのできる、恵みのブーム、祝福の流れを自ら生み出していくことが大切なのです。

 信仰者であり、クリスチャンである私たちには、それが可能です。詩篇の作者は、こう歌っています。
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主の教えを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
(詩篇 1篇1~3節)

 私たちをただ翻弄したり、不幸へと導くものではなく、私たちを幸せへと導く流れ、ブームというものがあってよいはずであり、それは、実は私たち自身で作り出すことができるものなのです。

 主なる神様の教えに立ち、毎日、どんな時もそれを忘れず、何度も口ずさむように自分のものにしていけば、必ず豊かな恵みの実りを人生の歩みにおいても体験していくことができるのです。自分の幸せを、社会や周囲の当てにならないブームや流行に任せるのではなく、あなたの信仰を生活の中でしっかりと定着させ、神様からの恵みがしっかりと流れ続ける回路を開いておくことが大事なのです。



 恵みをもたらすブームを作り出そう! 

 さあ、新型コロナ・ウィルス感染症の不安や、あなたをも巻き込む経済的な行き詰まりや、子育てや介護の難しさなど、あなたの心配の種は尽きないかもしれません。だからこそ、主キリストへの信仰をしっかりと働かせてください。“時が来ると実がなる”ような、確かな恵みの流れを生み出しましょう。外出自粛や自宅待機、テレワークなどが求められている今こそ、今まであなたが身に付けていない新たな祝福へのブームを作り出す好機です。

  1. 御言葉のブームを! (申命記 30:14)
    聖書を教会だけで開くのではなく、毎日、しっかりと読みましょう。そして、御言葉をしっかり覚えることにチャレンジしませんか?神の御言葉への信頼は、幸せをもたらします。
  2. 祈りのブームを! (ルカ 18:1)
    祈りの重要性を知っているつもりでも、実際は祈っていない場合が多いのです。まとまった時間で祈ったり、断食祈祷や徹夜祈祷など、自分の限界を破る祈り方に挑戦しましょう。
  3. 讃美のブームを! (使徒 16:25-26)
    どのような状況でも讃美の声を、主に向かってあげることを習慣化しましょう。讃美を捧げるときに、不可能と思えた状況に突破口を開くことができます。讃美には力があります。
  4. 感謝のブームを! (詩篇 136:1)
    一つ一つの出来事、人生の現場に立って、感謝することを忘れずに。すべての事柄において感謝するようになると、恵みの循環が起こり、あなたの人生に祝福が途切れないのです。
  5. 喜びのブームを! (第二コリント 8:11)
    何をするにしても文句や不平不満をこぼしながらではなく、喜びの心でなすべきです。人に対しても、仕事においても、いつもあなたの心に喜びがあることを確かめてください。
  6. 与え、献げるブームを! (第一テモテ 6:18)
    孤独な金持ちではなく、周囲の人を富ませ、神様に献げる者となりましょう。思いっきり献げることに挑戦してください。あなたの想像を超える祝福で、主は報いてくださいます。
  7. とりなし、仕えるブームを! (マタイ 25:34-36)
    人々のために仕え、善きわざを行うことは、決して損をすることではありません。仕え、とりなす者こそが心を豊かにされ、大きな恵みが戻ってくることを体験するのです。



 信仰によるマイ・ブームを作って、成長しよう! 

 世の中の流行やヒット商品などは、ある意味、私たちをその気にさせて、大きな流れやブームを生み出してできたもの。いつも誰かに乗せられてばかりでなく、時には、価値あるマイ・ブームを作り出して、成長するきっかけとしたいと思います。新型コロナ・ウィルス感染症は確かに非常時でピンチだと思われます。しかし、考えようによれば、どうしても変えられなかった頑固な日常を変革する大きなチャンスともなり得るのです。

 主キリストが喜ばれる私たちの成長のために、何らかのチャレンジをしてまいりましょう。ただ、自宅待機だからとゴロゴロして終わるのではなく、テレワークだから時間にゆとりができてのんびりしている…というだけでなく、神様が期待してくださっている本当の自分の姿に向けて、チャレンジできる貴重な非日常であるkとを意識してください。さあ、聖書の学びに、祈りの習慣作りに、今の時間を用いてまいりましょう。あなたの心の思いが、この緊急事態にあっても委縮し、主から注がれるべき力と恵みを忘れてしまうことがありませんように。価値あるマイ・ブームを作り出してまいりましょう。



 さあ、ご一緒に祈りましょう! 

 以下の祈りを、あなたの声に出して、しっかりと祈ってください。主キリストからの平安と力、夢と希望への思いが、必ず与えられます。

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天の神さま。世界的な感染症の不安の中で、委縮し気弱になっている私の心を引き上げ、強くしてください。
あなたがいのちの与え主であり、癒しの神であることを、私に示し、心を元気で満たしてください。
あなたの守りと導きを、豊かに私の心に注いでください。

主イエス様。あなたは今も生きて働く、まことの救い主です。
あなたの十字架と復活により、どんな罪の力、灰汁の働きにも勝る恵みと祝福が注がれていることを思い出させてください。
あなたが常に共におられるからこそ、私は大丈夫であることを教えてください。

聖霊なる神様。今、私を包み、力と平安、喜びでみたしてください。
使徒たちの時代のように、しるしと不思議の現れる、力強い信仰生活を実現させてください。感染症による逆境と見える状況にも、常に大きな可能性があることを私に教え、励ましてください。

主キリストの御名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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 問題は、悩んでいる間は解決しません。一人で悩んでいないで、共に祈り、信仰によって行動し始めると、問題は必ず解決に向けて動き始めます。あなたの救い主キリストからの最善の答えをしっかりといただきましょう。
 あなたの主キリストと共に歩む毎日は、決してコロナ・ウィルスによって妨げられてしまうものではありません。主が必ず勝利を与えてくださいます。

 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。


2020年4月4日土曜日

◆小さな挑戦、変革を忘れずに!

2020/04/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

先日、出張先の東京で、泊まったホテルで早起きして、早朝から原稿書きに励んでいました。すると、午前6時になった頃、どこからが目覚ましの音が…。壁越し?に隣の部屋から、どこかで耳にしたことのあるアラーム音が、さほどやかましくはないものの響いてきていたのでした。10秒くらいで消えたでしょうか?…すると、5分後にまた、同じアラーム音が…。これも程なくして止まったのですが、さらに5分後に…。


…あ、私みたいな人がいる…と思ってしまいました。朝の苦手な私は、いつも目覚ましを5分、10分毎に何度も鳴らして、やっと起きる…というパターン。典型的な夜型人間で、夜中はいつまでもダラダラと起きて、何かゴソゴソし続けるのですが、朝、自然に気持ちよく目覚める…というのがほとんど記憶にありません。早起きして、早朝に散歩に出かける人などは、心から“尊敬の眼差し”状態なのです。


その昔、大学生になった頃は、深刻に悩みました。“あさイチ”の時間帯で、英語やドイツ語など、いわゆる“語学”の授業が並んでおり、それらを落としてしまうと進級に影響が出たり、最後は卒業できなかったり…と大きな痛手が後を引くからです。今から40年も前のことですから、いわゆる目覚まし時計に頼る他なく、気が付けば5個も、6個も、けたたましく鳴る目覚まし時計を、部屋のあちらこちらに配置して、無意識で消したりせずに、ちゃんと起きることができるように、と早起きの人からすれば実に下らない工夫を凝らしていました。“春眠、暁を覚えず…”などと孟浩然の故事を頼りにうそぶいてみたりもしましたが、要は朝が苦手なだけなのです。


ここ最近は、新型コロナ・ウィルス感染症の話題で社会全体が揺れており、本格的な春が到来したのも気づかないまま。しかし、実際は、桜が美しく咲く、うららかな日本の春がやってきています。本来は、すでに卒業式や春休みの話題が巷に溢れていたはずで、これからは入学や就職、歓送迎会やお花見でいろいろと盛り上がる時期でもあったはずです。それが、いつの間にか忘れ去られ、何だか重苦しい雰囲気のまま新年度の開始となってしまいました。仕方がない、と言えば確かにそうなのですが、ただそれだけの鬱々とした日々で終わるのも残念です。私たち個々人の生活においては、春の到来を喜び、これからの春夏秋冬、新たな一年を見据えて、しっかりと目標を意識したいですし、自分自身を成長させ、飛躍させることも考えたいと思います。自分の欠点や弱点の克服のためにチャレンジすることにも、改めて、取り組んでみたいと思います。


今、社会がそんな雰囲気ではないから…とか、そんなことを考える心のゆとりが無いから…とか、自分の経済状況や家族の環境が整っていないから…とか、ずっと誰かや何かのせいにして責任転嫁を繰り返し、自分を変えたり、成長させようとすることに取り組むことを軽んじてはいけません。神様から与えられたいのちは、天国に召される時まで、様々な意味合いにおいて成長し続けるべきなのです。体力や学問での学び、お金を儲けることなどの、わかり易い成長だけでなく、人を愛する行動や、祈りや感謝における霊的な分野においても、進歩や成長という価値ある歩みを意識したいと思います。


あなたが苦手だと思っている事がらにおいても、もう一度チャレンジしてみませんか? 自分を変えよう、成長させよう、神様からの力をいただいて自分の限界や壁だと思っているものに挑戦してみよう…という思いを大切にしてください。この春の日々は、コロナ・ウィルスに振り回されて、世の中全体が閉塞感に閉じ込められています。そんな時だからこそ、信仰を働かせての積極的な思いと行動には、大きな意味があります。大袈裟なことをしよう、というのではありません。神様に祈りつつ、小さな成長、自分をさらに神様に喜ばれる者へと変えようという姿勢を、いつも忘れないことです。


“それはそれとして、私たちはすでに
達しているところを基準として、進むべきです。”
(新約聖書 : ピリピ人への手紙 3章16節)


2020年3月23日月曜日

あなたの内のキリストは何%!

2020/3/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。

 何だか世界中が新型コロナ・ウィルス感染症で大騒ぎ…という状況になってきました。本年の最大の関心事であったはずの東京オリンピックも、先行きは不透明。延期や中止もあり得ます。私たちも当然、感染予防のためには最新の注意を払いつつ、毎日を過ごしましょう。しかし、だからと言って、あなたの心や行動までもが、委縮してしまいませんように。さあ、本格的な春の到来です。春の喜びや、春だからこその躍動感を意識しつつ、夢を語り、目標を意識し、新たな可能性を心にとめつつ歩んでまいりましょう。



 “いよかん”問題…発生! 

 愛媛・松山出身者ならば、当然、手に取らざるを得ないものがそこにありました。主張先のコンビニの棚に並んだ、“いよかん”と大きく名前の付いた三ツ矢サイダーの期間限定商品。500mlのボトルです。“国産果実のおいしさ・限定生産”とあり、“色良し・味良し・香り良し”、“愛媛の人と大地が育んだ柑橘。さわやかな甘酸っぱさが広がります。”や“愛媛産には、愛がある。”などのキャッチコピーが並んでいます。美味しそうでしょう?

 そうまで言われると、どれだけふんだんに“いよかん”の果汁が使われているのかと期待しますが、ここで大問題が発生。果汁の分量は…と調べてみると、ボトルの底部に小さく、“果汁1%”と記されているのです。な、ナント“100%”ではなく、“10%”でもなく、確かに“1%”です。謳い文句からくる期待感を裏切るような、衝撃の”1%”なのです。

 …と、私の驚きはそれでは終わりませんでした。その三ツ矢サイダー“いよかん”の隣には、コカ・コーラのファンタのボトルが…、それも何と“いよかん”味!ではありませんか? “え?いよかんのファンタ?…何%?”と思いつつ、しかし、相手はあの炭酸飲料の王者ファンタですから、少々悪い予感が…。そう手に取ったファンタのボトルには小さく、しかし、はっきりと“無果汁”と印字されていたのでした。ああ~ファンタ“いよかん”…無果汁。単に、人工調味料、香料で、“いよかん”風の味をつけているだけなのです。



 そうです!私たちはクリスチャンです! 

 “1%”ごときでそれほど堂々と“いよかん”を名乗れるものなのか? さらに、“無果汁”で“いよかん”とは、これ如何に?という感じなのですが、すぐその後、他人事とは思えない感覚に導かれました。それは、私たちが“クリスチャン”である事実に関すること。そう、あなたも、私もクリスチャンなのですが…、お聞きして良いでしょうか?…“あなたのキリストは何%ですか?”

 “クリスチャン(Christian)”とは“キリスト者”、主キリストを信じ受け入れ、主キリストの弟子として、主キリストに従う者たちのこと…です。と、ここで問題なのが、そのクリスチャンである私たちの内におられる主キリストは、一体何%なのでしょうか? もちろん、0ではあり得ません。しかし、100%ということも、不完全で弱さを抱えたままの私たちには無理でしょう。しかし、その0と100の間で、実際にどのあたりか?ということを、私たちは真剣に問い掛ける姿勢を持ちたいと思います。

…もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに
生きておられるのです。…
(ガラテヤ人への手紙 2章20節)
パウロはこう語り、限りなく主キリスト100%に近いいのちのあり方を証ししています。ですから、私たちは自分がただ何となくクリスチャンだからということで安心してしまうのではなく、この“クリスチャン”という肩書のもとで、自分の信仰の意味や深さを自問しておくことが大切だと思います。



 本物のクリスチャンとして成長し続けよう! 

 さあ、この春からの1年間、春夏秋冬の日々を、クリスチャンとしての信仰を確実に成長させつつ歩んでまいりましょう。つまらない自己満足や、困った時の神頼みのような、身勝手な信じ方ではなく、主キリストのみこころをしっかりと内に宿した信仰者として成長していきたいと思います。

  1. 主キリストを受け入れよう!(黙示録 3:20)
    主キリストがあなたの心に宿っておられることが、信仰の大前提。自分の弱さ、足りなさ、罪深さを悔い改め、心の扉を開いて、主キリストに心の王座に就いていただきましょう。
  2. ご利益を求めるだけでなく!(ヨハネ :6:26)
    クリスチャンは、どんな時も神の御言葉を行動の指針とします。毎日の生活の中で聖書を開き、神の御言葉を求めましょう。人の言葉ではなく、神の御言葉で強められましょう。
  3. 口先だけの信仰で終わらせない!(マタイ 7:21)
    口では「主よ、主よ」と言いつつ、主の御言葉に従わない自己中心的な信じ方で終わることがありませんように。主からの御言葉を日々の生活の中でも実践してまいりましょう。
  4. 恩知らずの信仰者に成り果てない!(ルカ 17:18)
    主キリストからの祈りの答えや大きな恵みをいただいておきながら、感謝することもしない、恩知らずの者になってしまいませんように。常に、主に繋がり、感謝していきましょう。
  5. 主キリストの恵みを証ししよう!(マルコ 5:20)
    主からいただいた恵みを、人々に証しすることで、主のみこころに適う者へと成長しましょう。共におられる主による恵み、祝福の素晴らしさを人々と分かち合うことです。
  6. 自分の思いではなく、主の御心に従おう!(ヨハネ 21:19)
    信仰者として成長する中で、自分の目的を達成するための信仰から、主の御心に従う生き方へとステップアップしましょう。自分ではなく、主ご自身に従い、倣うことです。
  7. 神の栄光を現わすために成長しよう!(第2コリント 4:7)
    私たちは例え弱くても、主キリストの栄光が私たちのいのちの器から輝き出るようになりますように。主からの恵みを輝かせましょう。主の栄光のために生きていきましょう。




 主キリストのいのちを輝かせつつ歩もう! 

 クリスチャンとしての信仰生活の醍醐味は、私たちが弱く、頼りのない者ながら、内に宿り、常に共にいてくださる主キリストの力や愛、恵み、そして救い主、神としての栄光を実体験し、その輝きを現しつつ生きていくことができる、ということです。主キリストのいのちと恵みをしっかりと受け止めておけば、私たちのいのちの営みを通して、主キリストのいのちが、周囲の人々に対しても現れ出るようになる、ということなのです。

 さあ、自分の内の主キリストが5%くらいだと感じる人は10%を目指して、10%の方は20%を、20%の方は30%を…と、それぞれがクリスチャンとして成長する日々を積み重ねてまいりましょう。ゆめゆめ1%や、まして0%のままで、偉そうぶるような愚かなことになりませんように。主キリストの御名前をいただいている者に相応しく、成長と進歩の日々を体験してまいりましょう。100%という主キリストご自身までは、まだまだ遠い道のりかもしれませんが、それでも、今、置かれている場所から一歩ずつ、前に進んで行きたいと思います。この春からの歩みに、信仰者として霊的な成長を求めてまいりましょう。



 さあ、ご一緒に祈りましょう! 

 あなたの、この春からの日々に、主キリストの恵みが豊かに注がれ、主キリストのいのちをいただいて、主にあって成長できますように、と祈りましょう。以下の祈りを、あなたの声に出して、しっかりと祈ってください。

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天の神様。どうか私の毎日に、あなたからのいのちが豊かに注がれるようにしてください。
頭の理屈やワンパターンの生活習慣で終わってしまう表面的な信仰生活ではなく、あなたを信じ、みこころに従って行動し、霊的に成長し続ける者とならせてください。

主イエス様。あなたの十字架と復活、愛と救いをいただいて、あなたご自身を心の内にいつも意識するようにさせてください。
私の心の王座に、主よ、あなたがお座りください。そして、日々、私に知恵を授け、御言葉で導き、あなたのみわざを経験させてください。

聖霊なる神様。今、私に喜びと力を満たし、目には見えなくても、主キリストが確かに共にいてくださることを教えてください。
共におられる主が本物であるからこその、しるしや不思議が日毎に現わされますよう、私の信仰にいのちが溢れるように導いてください。

主キリストの御名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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悶々と自分一人だけで悩むという悪循環から、早く脱出しましょう。主は、必ずあなたの祈りに答えて、あなたの日々の生活に働きかけてくださり、どんな問題であっても解決に向けて動き始めます。

 さあ、あなたの春の日々からの歩みに、共におられる主キリストの恵みが滲み出、溢れ出てきますように。主キリストのいのちそのものをいただきつつ、恵みの溢れる日常を体験してまいりましょう。

あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。


2020年2月27日木曜日

◆心の委縮に気をつけよう!

2020/03/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

ただ今、大阪の豊中市では、小さな社会実験が進行中です。それは、小学4年生の提案に基づき、トリックアートを用いての、路上での迷惑駐輪を抑制しようというもの。小学生の描いた花壇の絵をトリックアートにして、歩道に貼ることにより、迷惑駐輪をしようとするとそこに確かに花壇が立ち上がっているように見えることでの、抑止効果を狙った実験です。時折、お構いなしに駐輪する不届き者も居りはするものの、ある程度の効果は出ている、とのこと。小学生の発案からの社会実験です。子どもだからと言って、侮れません。人には、元々様々な能力があり、神様から与えられた可能性は無限大だということを改めて思わされます。その可能性を生かして伸びやかに生きましょう。


他方、新型コロナ・ウィルス感染症に関しては、日替わりで状況が変化し、徐々に日本国中が総神経症状態になりつつあります。天皇誕生日の一般参賀が取りやめになり、東京マラソンも3万8千人の一般参加者のレースは中止に。今後も雪崩式に、各種のイベントが取りやめられるはず。用心に越したことはないのは分かりますが、その根底に、日本人独特の真面目さや細かさが、消極的・否定的姿勢や臆病な雰囲気へと過剰に醸成させつつある傾向を感じて、私はもっと平然としているべきだと思わされています。アメリカなどは、季節性インフルエンザの猛威の中で2,600万人の罹患、1万4千人の死者が出ている、というとんでもない状況なのですが、コロナ・ウィルスで今の所3名の方が亡くなった日本の方が、よほど過敏に反応し、国を挙げて大騒ぎしているようです。


当然、手洗いやうがい、必要ならばマスクも着用し、部屋の換気やテーブルなどの消毒…と当たり前のことしか実際にはできない訳ですから、あまり慌てない方が良いと思います。感染しても軽症だったり、無症状の人が8割、致死率は2%以下…とのことで、SARS(サーズ:重症急性呼吸器症候群)の時の致死率10%などと比べれば、いきなりパニックになることでのリスクや社会全般に対する悪影響の方が心配です。


もちろん、今回の新型コロナ・ウィルス感染症を侮ってはいけません。しかし、同時に私たちの心や気持ちが、無闇に委縮し、個々人の生き方も、社会全体の様相も、窮屈で閉所に閉じ込められ追い詰められたような感覚に陥ることには注意が必要です。びくびくしてあれこれの事柄が不安になってくると、私たちの人生には、危険や不安に繋がる要素は山ほどあることになります。家から外に出れば、今日、交通事故に遭遇するかもしれませんし、人と知り合いになれば、いつ裏切られるか、そのリスクも無視できません。スポーツに励めば、怪我をするリスクが急増するのですから、身体を鍛えるなんて考えない方が良い…となりますし、子どもを産んだりすると、将来大変な手間と費用、精神の負担を抱え込むことになる訳ですから、結婚や子育てなど、元から考えない方がましだ…ということにもなりかねません。


人生に潜む危険や躓きに対しての警戒や用心を怠ってはなりませんが、同時に臆病でおどおどした態度に陥らないよう気を付けたいと思います。私たちの人生に、問題や試練、困難や危険は常に付き物です。しかし、だからと言って、人生を価値のないもののように考えたり、問題に遭遇することを過度に嫌ったり、人々との出会いすら怖がるようになっては、自分の想像を超えるような人生の喜びや楽しさと出会うことなど、良いものが全て消滅してしまいます。何かが起こる前から排除する…過敏すぎる神経症的認識に陥りかねません。それは、実は残念な生き方なのです。


私たちはそれぞれ、いのちの与え主である神様に置かれた場所で、精一杯に生きてまいりましょう。日々を喜びつつ、神様からの力をいただき、主キリストの愛にいつも満たされ、聖霊の導きの中で、祈り讃美しつつ毎日を大胆に生きてまいりましょう。生きるのが一筋縄ではいかない、確かに生きるのに難しい時代です。だからこそ、シンプルに素直に、神様からの力や可能性を信じて、笑顔と讃美、祈りの力で前進して行きたいと思います。困難や問題に直面する時には、神様からの助けを求めましょう。あなたの心が、今の事態の中で決して委縮してしまうことがありませんように。


“神が私たちに与えてくださったものは、
おくびょうの霊ではなく、
力と愛と慎みとの霊です。”
(新約聖書:テモテへの手紙 第二 1章7節)




2020年2月26日水曜日

分かり切ったことを実行する行動力

2020/02/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。

 テレビや新聞では、連日、新型コロナ・ウィルス感染症の話題ばかりが報道されています。当然、健康維持には留意しつつも、だからと言って、報道に煽られて、心配や不安ばかりが先走り、あなたの考えや行動が無闇に委縮してしまわないよう、気をつけましょう。主の豊かな祝福を期待しつつ、春に向けての積極的な歩みを積み重ねてまいりましょう。



 天才たちの習慣! 

 たまたま書棚で見つけた“天才の習慣”という雑誌を買いました。で、どんな特別な習慣を世の天才たちは身に付けていたのだろうとページをめくってみると…。そこには“朝食はしっかり食べ、昼食は軽めに済ませる(ウォルト・ディズニー)”、“毎日必ず瞑想の時間をつくる(ビル・ゲイツ)”、“立ったまま仕事をする(アーネスト・ヘミングウェイ)”、また、“とくに楽しくないときでも口元だけ笑ってみる(オードリー・ヘップバーン)”など、言われてみれば、どこかで聞いたことのあるような、誰もが知っているような事柄が並んでいます。

 実は、天才たちを生み出した小さな習慣というものは、それほど突拍子もないものではありません。一回それをするだけなら、誰でもすることのできる簡単なものがほとんど。要は、誰もが知っており、すでに聞いたことのあることを、自分の習慣だと言えるくらいまで、自分に馴染ませ、生活に定着させることができたか、ということなのです。



 主の恵みと救いを実体験する一年とするために! 

 “主キリストの恵みと救いを実体験しよう!”とのテーマを掲げて、私たちは2020年の歩みをスタートさせました。すると、どこかでリキんでしまったり、普段やり慣れないことをしなければ、と余計なことを考えてしまうものなのです。いえ、むしろ、大きな祝福を手にする方法は、すでに知っていることなのです。意外と身近に感じる事柄の中にこそ、本当の祝福をもたらす仕方があるものなのです。

 “永遠のいのち”を求めて主イエスに尋ねた律法学者に対して、主は彼に逆質問して、“律法にはどのように書かれているか?”と訊かれました。迷うことなく“『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。(ルカ10:27)”と答えた彼に対して、主は、語られました。
そのとおりです。
それを実行しなさい。
そうすれば、いのちを得ます。
(ルカの福音書10章28節)
分かり切っていることだ、それを行えば良いのだ、と言われたのです。



 生きて働く信仰! 

 信仰の力を高めよう、とか、生きて働く信仰を獲得しよう、と考えると、山にこもって滝に打たれるとか、何十日も断食するとか、何か特別なことをしなければならないように感じるものです。しかし、実際はそうではありません。実は、あなた自身がすでに知っているはずのことを実行に移すことで、生きて働く信仰を身に付けることができるのです。

 信仰者としての目標を、いつも自分の手の届かぬところに置いて欲求不満に陥るより、すでに分かり切っていると思われる事柄を実行する勇気と決断が大切です。さあ、あなたの2020年の日々においてこそ、分かっているはずの信仰の真理を、いつまでも理屈のまま放置するのではなく、実際に行動し、日々の出来事の中で、身に付く習慣としましょう。神の御言葉は、頭で理解するべきものではなく、生活の中で習慣化して味わうことが大事なのです。



 御言葉を試してみよう!実践しよう! 

 さあ、2020年のあなたの毎日に、主キリストからの恵みや救いのみわざを体験してまいりましょう。そのためには、あなた自身の信仰を働かせてみることが大事です。闇雲に、我流で…というのではなく、馴染み深い御言葉に従って信仰を働かせてください。



  1. やはり神様第一で!(マタイ 6:33)
    クリスチャン生活の根本は、神様第一主義。自分の考えが第一、という世の中においても、私たちは神の御言葉を何よりも尊び、礼拝を基本として信仰生活を立て上げましょう。
  2. 神の御言葉を求めよう!(ルカ 7:7)
    クリスチャンは、どんな時も神の御言葉を行動の指針とします。毎日の生活の中で聖書を開き、神の御言葉を求めましょう。人の言葉ではなく、神の御言葉で強められましょう。
  3. 何事も祈り求めること!(マルコ 11:24)
    祈りは、神の力を引き出します。クリスチャンである私たちは、どんな時も祈り、祈りを通して神に熱烈に求め、神の御心を追求しましょう。神は必ず祈りに答えてくださいます。
  4. 献げることでの祝福!(第2コリント 8:3~4)
    献げることを通して、豊かな恵みの循環が生まれることを体験しましょう。自ら献金を捧げ、信仰の種を蒔くことから、収穫へ、さらに尽きることのない恵みの連鎖が生まれるのです。
  5. 仕えることから来る恵み!(ピリピ 2:6~7)
    主キリストの仕える姿から、私たちは奉仕の真の価値を知りましょう。与えられた時間や能力、労力を神のため、教会や人々のために自ら進んで、喜んで仕えていきましょう。
  6. 主キリストを心を込めて証ししよう!(使徒 4:20)
    クリスチャンの生き様の特徴は、自分ではなくいつも主を証しすることです。自分が体験した救い、祈りの答え、恵みの数々を、偽らず、臆せず、愛をもって人々に伝えましょう。
  7. 神の家族を喜ぼう!(ガラテヤ 3:26)
    主にある兄弟姉妹たちと祈り合い、支え合うことの素晴らしさを体験しましょう。主キリストに愛され救われた私たちは、神の家族の一員であり、お互いが価値ある存在なのです。


 信仰の勇者、神のしもべとなろう! 

 私たちが神の御言葉に立って行動し、それを生活の中で習慣化したとしても、世の中の基準での天才になれる訳ではないかもしれません。しかし、確実に“信仰の勇者”“神のしもべ”として、自分に与えられた人生を精一杯に生きていくことができるようになります。あなたに与えられたいのちに秘められた最大限の可能性と豊かな広がりの世界を生きていくことができるようになります。

 さあ、聖書の御言葉一つ一つをあなたの生活において実践し、御言葉通りに行動して、豊かな恵みを手にしましょう。本年の歩みが、本当に主キリストの恵みと救いを実体験するものとなりますように。そのためにも、良く知っているはずの御言葉の一つ一つを丁寧に実践してまいりましょう。そんな当たり前の毎日の延長線上に、豊かに祝福されたあなたの人生が約束されています。



 さあ、ご一緒に祈りましょう! 

 あなたの2020年の日々に、神の御言葉を実行する行動力が与えられますように、とご一緒に祈りましょう。以下の祈りを、あなたの声に出して、しっかりと祈ってください。

********************

天の神様。どうか私の毎日に、しっかりと信仰が働くように導いてください。
口先の理屈や頭の中の理想論で終わる表面的な信仰ではなく、毎日の行動が伴う信仰生活を実現させてください。
神の御言葉を、一つ一つ、生活の中で実行していくことができますように。

主イエス様。あなたの十字架の救いは、宗教の理論ではなく、十字架で実現された事実でした。
ですから、私の信仰もあなたの愛にしっかりと応答して、具体的に行動することができるようにしてください。
主よ、主よと言うだけでなく、御言葉を行わせてください。

聖霊なる神様。今、私に喜びと力を満たし、日々の出来事の中ででも、信仰を働かせて生きることができるように導いてください。
内側から、私を支えてください。私が御霊の実を結ぶ信仰生活を歩んでいくことができるよう、助け、励まし、力を満たしてください。

主キリストの御名前により、祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

********************

 主は、必ずあなたの祈りに答えて、あなたの日々の生活が霊肉の両面で価値あるものとなるよう、この一年の歩みを導いてくださいます。
 さあ、あなたがすでに知っているはずの神の御言葉を実行に移し、その御言葉がもたらす恵み豊かな世界を、この一年の日々において実体験してまいりましょう。
 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。



2020年1月31日金曜日

◆神様の壮大なストーリーに生きよう!

2020/2/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

先日、鹿児島での集会の翌日のこと。地元の新聞を手に取って読んでいたのですが、そこには、どう理解すべきか戸惑う記事が載っていました。それは、地元の小学校の5、6年生が近くの海岸線を清掃し、漂着物調査を行い、レポートをまとめた、というもの。それは文句なしに立派なことなのですが、その結果としての提言が“ボトルレターはやめて!”となったということ。漂着物の中に、ペットボトルに入った手紙を見つけたのですが、ペットボトルは海洋プラスチックごみの代表格であり、そういうものを海に流すことはいけないことであるし、誰かに大切なメッセージがあるのなら、手渡せば良い…、だから“ボトルレターはやめて!”ということになったらしいのです。


もちろん、海岸の漂着物のほとんどは海洋ゴミと呼ばれるもので、特に山陰や九州の対馬海峡や東シナ海側の海岸では、中国や北朝鮮、韓国などからの捨てられた漁具や注射器や薬品の容器などの医療廃棄物、ペットボトルなどが大量に押し寄せています。それは文句なしの大問題。ゴミを簡単に海に捨てる習慣も問題ですし、それを看過しているそれぞれの国の責任も大であり、海洋汚染の深刻さを加速させている由々しき事態です。しかし、それと海岸で、たった一本見つけたボトルレターが一緒にされて、ゴミ問題のサンプルのように扱われるのは、正直どうか?と思ってしまいました。


確かに、流れてきたペットボトルはプラスチックごみ、中身の手紙を本当に誰かに届けたいなら手渡すなり、郵便で送れば良い…本当に子どもたちの発想なのか、指導した先生の考えなのかは、わかりませんが、何だか人間の情緒や人生の機微を認めない、冷めた、つまらない足し算引き算でしかない理屈ではないかと感じました。何百本も何千本もあるのなら問題でしょうが、海岸に打ち上げられた一本のボトルレターを、ゴミの代表として扱わなくても良いのではないかと、シンプルに思ったのです。


こんな理屈で言えば、“名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ 故郷の岸を 離れて 汝はそも 波に幾月…”と島崎藤村が歌った椰子の実も、プラスチックではなくても、実際は海洋ゴミということになります。最近は、街の喧騒を離れて、心をリセットしようとキャンプが流行っていますが、焚火でもしようものなら、CO2を発生させるから即刻中止してくれ!ということになります。実際、瓶に入れた手紙…ボトルレター…をモチーフにした小説や映画もたくさんある訳ですが、心の琴線に触れる数奇な物語や情緒的な人生の展開への興味などよりも、ゴミ問題に加担したり、問題を放置させる有害な物語として排除されることになります。


私は、理屈ではなく、子どもたちには、そのボトルレターから人生や人間関係の深み、人生のドラマに思いを馳せて欲しかったと思います。指導された先生が徹頭徹尾理系の頭の方で、私のような情緒的な文系の頭でなかったのかもしれません。それを記事にした新聞記者も今時の正義感溢れる記事として書いたのでしょう。しかし、あまりにも今のご時世の話題に振り回されただけの表面的な物事の処理のように思われ、子どもたちには、実はもっと大きな価値を教えてあげる機会になったのでは思うのです。


神様のことを、私たち人間の浅はかな知識だけであれこれしようとすると、つまらない答えしか出ないものです。神様を無理やりあなたの頭の小さな枠の中だけに押し込もうとするのではなく、聖書の語る通り、天地宇宙の創り主、いのちの与え主として素直に認めてみませんか? あなたのための愛と恵みの神様がおられる…というメッセージは、決して馬鹿げた神話のようなお話ではありません。神様を私たち人間の小さな理屈の中で理解しようとするのではなく、神様が神様であられる雄大で凄まじく大きな物語のまま受けとめてみる素直さを持つことです。あなたといういのちを愛され、選ばれ、救いへと導かれる、天地宇宙の創造主なる神様、救い主イエス・キリストを通して私たちに語り掛けてくださる神様がおられる…という、壮大な物語の中に、ぜひ自分自身を見い出してください。神様は、あなたを愛しておられます。


“天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。”
(旧約聖書 : イザヤ書 55章9節)

2020年1月24日金曜日

A Season of Blessings! A Day of Salvation! 恵みと救いの実体験を!

2020/1/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。

 新しい一年が動き始めて、早くも1月の後半を迎えています。暖冬とは言うものの、これからのひと月ほどが一年で一番寒い時期となりますので、あなたの体調も守られますように。さあ、2020年の日々を、喜びと感謝をもって、主キリストの力強いみわざを体験しつつ、歩んでまいりましょう。あなたの毎日に、豊かな祝福をお祈りします。



 主キリストの恵みを救いを実体験する一年! 

 あなたの2020年は、順調に動き始めているでしょうか?今年は、東京オリンピックが開催される年。それに絡んで経済の動きや工事の話題、外国人旅行客の話など、様々な話題が耳に飛び込んできます。しかし、実際には、自分ではオリンピック競技のチケットを一枚でも手にしている訳でもなく、どうもお茶の間スポーツファンのまま、オリンピックの時期を過ごしそうな流れです。周囲が盛り上がるだけでは残念です。

 さあ、そんな野次馬や見物人感覚だけの日々で終わらせるのではなく、しっかりと神様からの“恵みと救い”をいただき、当事者として、大いに恵みを受け、喜びに満ちた一年としていただきましょう。確かに、一方では、オリンピック関連の盛り上がりがあると同時に、他方、私たち一人一人がどれほど小さな存在であったとしても、神様から豊かな祝福を受けて、大いに喜び感謝する一年にしたいと願っています。そう、今年のテーマは、“主キリストからの恵みと救いを実体験しよう!”です。



 今は、恵みの時。今は、救いの日です! 

 最近、英会話の学び方が劇的に変わっているのを、ご存知ですか?今まで、英会話を学ぶ…というと、高い授業料を払って英会話教室に通うか、高い教材を買って、一人でCDやカセットで勉強する…というイメージがありました。それが、インターネット社会の到来で、月々わずか数千円払えば、毎日15~20分ほど、海外の講師とパソコンやスマホの画面越しに、本物の英会話を練習することができるようになりました。やはり、生きること、生活に密着した語学スキルですので、本物の外国人相手に英会話を試す以上の学びの機会はありません。それが、驚くほど簡単に実体験できるようになったのです。

 やはり、英会話のみならず、私たちの生活や人生に関わる物事は、机上の空論で終わるべきではなく、本物を見ることですし、実体験することが重要です。だとすれば、私たちの信仰生活も、単なる精神論でとどまることなく、新鮮な祝福の伴うものでありたいと思います。聖書は、こう記しています。
神は言われます。
「わたしは、恵みの時にあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた。」
確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
(コリント人への手紙第二 6章2節)
過去を悔やむ時や将来が不安な時に祈るだけの信仰ではなく、今、生かされていることを心から感謝して、日々の出来事の中で、共におられる主キリストを実体験してまいりましょう。



 恵みと救いへの注目! 

 聖書の神様は、恵みの神様です。日本人が一般的に思い込んでいるような、得体の知れないおどろおどろし存在ではなく、バチを当てる神様でもありません。天地宇宙の創造主であり、いのちの与え主です。私たちがこの恵まれた世界に存在し、生きていること自体が大きな恵みの中の出来事なのです。さらに、神様は、私たち一人一人の状況に応じて、様々な助けや知恵、満たしや癒しなど、それぞれの状況の中での恵みのわざをなしてくださる神様なのです。

 また、聖書の神様は、救いの神様です。神様を信じることが、ただ何となく心が落ち着くとか、安らぐというレベルのことではなく、明確な“救い”という体験を用意してくださっているのです。救い主イエス・キリストの十字架のみわざを通して、私たちの心根に潜む罪や魂の汚れまでもが清められて、罪赦され、神の子どもとされる特権が与えられて、救われるのです。単にこの世での生活を快適に楽に生きるレベルでの幸福ではなく、死んだ先も、永遠のいのちまで備えて、私たちを真に“救って”くださるのです。



 実体験の伴う信仰生活を! 

 ただ何となく信じているという、ふわふわしたままの信仰生活ではなく、神様からの恵みと救いのみわざを、しっかりと実体験してまいりましょう。あなたの信仰が、そんな実体験を伴う信仰生活へと焦点の合わせられたものとなりますように。


  1. 闇や悪の力以上に、恵みは豊かに注がれる!(ローマ5:20)
    世の中に悪の力や闇の世界が広がる時だからこそ、神様の恵みもさらに豊かに注がれることを信じましょう。“世の光、地の塩”としても、力強いみわざをいただくことができます。
  2. しっかりと求めるべきです!(マタイ7:7)
    信仰には、しっかりと求め、追求することの大切さがしばしば教えられています。何となく成り行き任せの、意思の定まらない信じ方ではなく、恵みを求める姿勢を整えましょう。
  3. あなたの必要は満たされます!(ピリピ4:19)
    健康、家庭、仕事、人間関係、経済、将来…と、私たちの求めは多岐に亘ります。しかし、それら一つ一つが、神様の恵みによって満たされ、解決され、恵まれていくのです。
  4. 救いという最高の霊的経験があります!(ローマ10:9)
    神様と人間との関係には、“救い”という最高の霊的祝福があります。あなたの罪が清められ、新たに生まれ変わり、神様との全く新しいいのちの関係に生きることができるのです。
  5. 救いの体験は、今、与えられるもの!(ルカ19:9)
    “救い”は死んでからとか、悟りの果てに、ではなく、信じることで“今”与えられるものです。主キリストによる新しいいのちをいただき、新たな歩みを始めることができます。
  6. 家族、友人たちの救いを祈ろう!(使徒16:31)
    自分自身が救われるだけで満足せず、家族や友人たちの救いを祈りましょう。愛する者たちが滅びから救われて、永遠のいのちの世界まで共に歩んでいけるよう、祈りましょう。

 恵みと救いの実現のために、具体的に祈り求めよう! 

 この恵みと救いをしっかりと受け止めるために、私たちも信仰を実際的に働かせることが大切です。たとえば、神様に恵みを求めて祈る…という場合も、ただ漫然と祈るのではなく、自分の必要を具体的に把握して、明確に祈ることが大事です。もちろん、我がままで身勝手に祈るということではなく、具体的なニーズを把握して、はっきりと祈るのです。あなたの祈り求めるべき必要をリストに書き出して、しっかりと祈ることも必要でしょう。

 また、あなたの愛する人々の救われることを、簡単にあきらめないことが大切です。あなたの家族や友人たちの名前をもう一度書き出し、単に良い人であることや、あなたと親しくなる…という以上に、主キリストを信じてクリスチャンとなり、共に教会に集い、一緒に祈り合うことまでできるよう、本当の救いを求めて祈ってまいりましょう。神様からの具体的で実際的な恵みや救いを求めるのですから、私たちの求める姿勢や、祈りの内容も、より具体的で的確なものでありたいと思います。



 さあ、ご一緒に祈りましょう! 

 あなたの2020年の日々が、確かに恵まれたもの、救いの力の現われるものとなるよう、ご一緒に祈りましょう。
 以下の祈りを、あなたの声に出して、しっかりと祈ってください。

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天の神様。どうか私の2020年の日々を祝福してください。
私の信仰が、ぼんやりとあやふやなままでなく、明確な恵みと救いのみわざを引き出すものとなりますように。
この一年の歩みを通して、あなたの力強い恵みと救いのみわざをしっかりと体験させてください。

主イエス様。あなたの十字架の救いは、単なる概念ではなく、私や周囲の人々の人生を変えるものです。
主よ。あなたが常に共におられることを、恵みや救いの実体験を通して確かに知ることができるようにしてください。
生きて働かれる主を、実体験させてください。

聖霊なる神様。今、私に力と喜びを満たし、日々の生活を変えてください。
人間的な力ではなく、霊的な恵みのみわざが成り、いつも讃美と感謝が溢れていますように。
しるしと不思議さえ起こる、恵みの日々となりますよう、この一年の歩みを祝福してください。

主キリストの御名前により、この一年の祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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あなたの2020年の日々が、本当に主キリストの恵みのみわざ、救いの力をしっかりと体験し、多くの祝福を実体験するものとなりますように。共に主キリストを見上げて、祈り、讃美し、前進してまいりましょう。
 さあ、“A Season of Blessinngs! A Day of Salvation!”を合言葉に、共に信仰を働かせて、大いに祝福されてまいりましょう。
 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。

2019年12月31日火曜日

◆神様の恵みを受ける“当事者”となろう!

2020年1月1日付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より


突然の予算削減、設計変更などで、東京オリンピックに向けて竣工時期が危ぶまれていた東京の国立競技場が11月30日に完成し、12月の半ばにはお披露目もされました。木材をふんだんに使った、新たな存在感のある建造物となりました。今後、世界的にも注目を集めるはずです。さずが、日本。そして、各都道府県からはオリンピックの聖火リレーの走者が続々と発表されています。スポーツ選手やタレントたちなど、いわゆる有名人の比率がかなり高いのですが、一般から選ばれた方々にも、胸を張って堂々と、躍動感をもって走っていただきたいと思います。


2020年という、新たな一年のことを考えると、やはり世の中では東京オリンピックが最大の話題を呼びそうです。チームとしてオリンピック出場を目指す種目もあれば、日本国内での個人選手たちの熾烈な代表争いがこれから正念場…という競技もあります。本大会では、当然、日本選手団に大活躍してもらいたいですし、たくさんの日の丸を表彰式で見たいと思います。もちろん、全世界から集まる最高峰のアスリートたちの、文字通り、しのぎを削る大一番での全力を発揮する姿を目に焼き付けたいと思います。


とは言うものの、私は、まだ一枚もオリンピックのチケットを手にしておりませんし、具体的に出かける計画も立てていないので、このままお茶の間応援団で終わりそうです。見物人にも観衆にも、なれないことになります。ただし、めちゃくちゃ熱くなりそうなので、いつものように、テレビや新聞、インターネットの記事などを読み漁って、“お茶の間スポーツ評論家”として、この文章にも何か熱く書くことになるかもしれません。


まあ、スポーツの世界は、それでも良いのだろうと思います。しかし、私たちの人生全体を考え、この2020年のことを見る時、単に“見物人”や“野次馬”、“観客”、理屈ばかりの“評論家”で居続けて良い訳ではありません。やはり、物事と向き合う中で、“当事者”となる場面が出て来ますし、そこで逃げ腰でいたり、責任転嫁をするばかりでは、人生は決して祝福される方向へとは進まないのです。時には、自分が自分の人生の“責任者”であり、良い意味での“主役”であることを意識することです。


聖書の中でも、自分では脇役以外の何者でもないと思っていた人々が神様に引き出され、歴史の大きな物語の中で人生を生きるようになっています。アブラハム、モーセ、ヨシュア、ギデオン、サムエル、ダビデ…と、実に枚挙に暇がない状況なのです。そして、それぞれに戸惑いつつ、失敗も重ねつつ、偉大なご計画の中での生涯を実現していくことになるのです。


私たちは、2020年の日々を「恵みの時、救いの日」をテーマに掲げて歩んでいきたいと考えています。そのためには、私たち一人一人が、単なる“見物人”や“評論家”ではなく、主キリストの恵みのシナリオにおける“当事者”“中心人物”としての自覚をもって歩んでいくことが必要です。他人事である限り、神様の力やしるしは、私たちの人生に大きな恵みをもたらすことはありませんので。いつまでも隠れたままでいないで、あるいは、人の陰に隠れて誰かを当てにし続けるのでもなく、“主よ。私はここにおります。どうか、私を豊かに祝福してください!”と祈ってまいりましょう。


“……はい。ここにおります。……”
( 旧約聖書 : サムエル記第一3章4節 )


2019年8月3日土曜日

◆逞しくて、良いじゃないか!

2019年8月1日付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

 
 
九州福音センターの礼拝などで福岡にはしばしばやって来るのですが、毎年、夏休み直前に宿泊先のビジネスホテルで出くわすシーンがあります。あ、今年もあのシーズンだ!と思わされるのです。それが、高校生の金鷲旗(柔道)、玉竜旗(剣道)のそれぞれの大会です。柔道も剣道も、それぞれに全国選手権とインターハイがあるのですが、それらと並んで高校での“3大大会”の一つと位置付けられています。宿泊するホテルによっては、各地からのチームがたくさん泊まっていたりするとロビーやエレベーターが何となく“青春の香り”に溢れていて…。はい、かなり体格の良い高校生たちが、汗の匂いをぷんぷんさせながら歩き回っていますので…。
 
 
武道が盛んで、“質実剛健”の気風に溢れる九州ならではの大会だと思います。ちょっと面白いのが、その試合形式。一チーム5人でのチーム戦なのですが、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人がそれぞれに対戦するよくある団体戦の形式ではなく、金鷲旗も玉竜旗どちらも勝ち抜き戦なのです。そう、対戦する相手に勝てば、そのまま勝ち残って、相手チームの次の選手と対戦するのです。柔道は引き分けが多いのですが、先日、新聞の結果で玉竜旗(剣道)の結果を見ると、剣道では勝ち負けの結果が出やすく、何と一人で15人抜きだとか、14人抜きなどを筆頭に、相手チームの何人もの選手を倒していく猛者がたくさんいるのです。
 
 
最近のひ弱な“教育的”スポーツの観点からすると、“一人だけが活躍したり脚光を浴びてはダメだ”とか、“一人で5人も10人も相手に休まず連続で試合をして怪我でもしたらどうするんだ”とか、“お前が勝ち続けて、出番のなかった仲間のことを考えたことがあるのか?”“一人の選手にやられてしまった3チームの選手たちの気持ちを考えたことがあるのか?”とか、つまらない批判が噴出してきそうです。東京や大阪での開催ではなく、全国的な知名度もそれほどではなく、何よりもマスコミやインターネットの餌食にされずにいるので、昔ながらの“武道”としての精神性や荒々しさ、勝っても負けてもの潔さが残っているのではないか、と思います。
 
 
最近は、運動やスポーツの世界でも、“人道的”とか“教育的”という名の元で、やたらと周囲からの手や口が出て、様々な管理、コントロールがされるようになってきました。例えば、幼稚園や小学校の徒競走では、ゴールで順位を付けず、みんな金メダルだ、とか、中高生の檜舞台のような大会でありながら、絶対に怪我をさせないよう無理をさせない、本気を出させない…とか。道理で、最近の若者たちは、何をするにもどんな分野でもマニュアルやコンサルタントがいると思い込んでいることが多く、書かれた手順通りに事を進ませれば成功したり、幸せになったりできると信じている人が増えているようです。
 
 
すべてを管理し、コントロールして良い環境や計算できる結果ばかりを生み出そうとして、徐々に世の中が過保護にひ弱になる中で、想像以上に荒々しく、逞しい世界が残っていくのも、私は必要だと思います。生きていくという現実には、優しさや楽しさだけでなく、厳しさや非情さ、試練や困難といったものも存在しているのですから。何事も過保護、過干渉になる時代に、神様は私たちに対して、シンプルに強くあれ、逞しくあれと語りかけてくださるはずです。いつまでも乳飲み子やひ弱なままであって、良いはずはありません。あなたも、屁理屈を越えて、強くなろう、逞しさを手に入れよう、と願われませんか? 信仰者こそ、本物の強さを身に着けることが必要です。
 
 
“そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
(新約聖書:テモテへの手紙第二 2章1節)

2019年2月28日木曜日

◆耐えられない試練は存在しない!

2019/03/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

 
女子競泳界のエース、池江璃花子選手の突然の白血病の公表は、ご本人も動揺と混乱を隠せなかったように、日本中に大きな衝撃を与えました。弾けるような若さと勢い、笑顔で、来年に迫った東京オリンピックで金メダルを奪取し、世界の頂点へ…と視野に入れていた矢先、誰も想像できなかった病魔との戦いの幕が切って落とされたのです。そんな彼女の早期の回復を願い、世界中から寄せられた応援の声に対して、彼女が発信したツイッターのメッセージの中に、次のようなフレーズがあります。“…私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。…”
 
 
実は、これに似たフレーズを、応援メッセージを送った他のアスリートたちもしばしば使っていることに気付きました。このフレーズが、ご本人のオリジナルなのか、周囲にクリスチャンや教会の関係者がいるのかはわかりません。メディアの報道では、長い文章の中で使われたにもかかわらず、この部分だけが切り取られて使われていることも多いように思います。ある意味で、今の厳しい状況の中で、何かフィットする感覚のある表現だと、多くの人が感じているからなのでしょう。
 
 
この表現を、どのような意味で、皆さんは理解しておられるのだろう…?と、考えてみました。中には、難病との取り組みの中で、回復への流れや治癒の可能性が簡単に説明できない辛さやもどかしさ故、さらに少々感傷的な思いも込めつつ、こんな表現に頼って、応援メッセージとして語っている…という人々もいるように思います。しかし、当の池江選手は、もっと強い意思と願いと共に、このフレーズを選択していることは間違いありません。
 
 
人生の窮地に陥った時、“神”を口にするのは、強いことですか、それとも弱いことでしょうか? 実は、それがこのフレーズの味わい処。“困った時の神頼み”などという諺からすると、日本人の多くは、弱さや不確かさ、さらには、もうどうにも逃げ場がない絶望感を持って“神”に頼るようです。しかし、本当の信仰者は、たとえ絶望の淵に追い込まれることがあったとしても、“神”による助けや導き、そして事態の大逆転まで描きつつ窮地からの脱出と、逆説的に勝利を告白します。神が共におられることが、私たちのどうしようもない弱さにおいても、恵みのみわざを体験させることになるのです。
 
 
池江選手を応援するにしても、あるいは自分自身を取り巻く今の状況について語るにしても、私たちは信仰者として、この表現が持ちうる最大限の力強さと、その向こうに浮かび上がってくる希望や勝利をしっかりと意識する者でありたいと思います。私たちの人生は、私たちだけの孤独な歩みではありません。天地宇宙を創られ、私たちにいのちを与えられた神様が共にいてくだるのです。たとえどうしようもない弱さを感じる事態に遭遇することがあっても、絶体絶命だと思わされるような場面を体験していても、神様と共にある私たちには、希望と勝利への道筋が確実に用意されているのです。
 
 
このフレーズを、単なる気の利いたもの、状況にフィットする表現だからという程度の利便性で用いて、本当にただそれだけで終わってしまうのではなく、そこに秘められている大きな力を体験する者となりたいと思います。この言葉は、聖書の言葉。神の御言葉です。しっかりと受けとめ、自分のものとして告白するならば、そこに大きな力が生じます。道が開かれます。奇跡さえ起こるのです。池江選手を応援するにしても、自分自身に語りかけるにしても、この神の言葉が約束する、大きな力と可能性を信じつつ告白してまいりましょう。どのような窮地からでも、神様は助け出してくださいます。
 
 
“あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、
耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。”
(新約聖書 : コリント人への手紙第一 10章13節)