2019年8月3日土曜日

◆逞しくて、良いじゃないか!

2019年8月1日付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

 
 
九州福音センターの礼拝などで福岡にはしばしばやって来るのですが、毎年、夏休み直前に宿泊先のビジネスホテルで出くわすシーンがあります。あ、今年もあのシーズンだ!と思わされるのです。それが、高校生の金鷲旗(柔道)、玉竜旗(剣道)のそれぞれの大会です。柔道も剣道も、それぞれに全国選手権とインターハイがあるのですが、それらと並んで高校での“3大大会”の一つと位置付けられています。宿泊するホテルによっては、各地からのチームがたくさん泊まっていたりするとロビーやエレベーターが何となく“青春の香り”に溢れていて…。はい、かなり体格の良い高校生たちが、汗の匂いをぷんぷんさせながら歩き回っていますので…。
 
 
武道が盛んで、“質実剛健”の気風に溢れる九州ならではの大会だと思います。ちょっと面白いのが、その試合形式。一チーム5人でのチーム戦なのですが、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人がそれぞれに対戦するよくある団体戦の形式ではなく、金鷲旗も玉竜旗どちらも勝ち抜き戦なのです。そう、対戦する相手に勝てば、そのまま勝ち残って、相手チームの次の選手と対戦するのです。柔道は引き分けが多いのですが、先日、新聞の結果で玉竜旗(剣道)の結果を見ると、剣道では勝ち負けの結果が出やすく、何と一人で15人抜きだとか、14人抜きなどを筆頭に、相手チームの何人もの選手を倒していく猛者がたくさんいるのです。
 
 
最近のひ弱な“教育的”スポーツの観点からすると、“一人だけが活躍したり脚光を浴びてはダメだ”とか、“一人で5人も10人も相手に休まず連続で試合をして怪我でもしたらどうするんだ”とか、“お前が勝ち続けて、出番のなかった仲間のことを考えたことがあるのか?”“一人の選手にやられてしまった3チームの選手たちの気持ちを考えたことがあるのか?”とか、つまらない批判が噴出してきそうです。東京や大阪での開催ではなく、全国的な知名度もそれほどではなく、何よりもマスコミやインターネットの餌食にされずにいるので、昔ながらの“武道”としての精神性や荒々しさ、勝っても負けてもの潔さが残っているのではないか、と思います。
 
 
最近は、運動やスポーツの世界でも、“人道的”とか“教育的”という名の元で、やたらと周囲からの手や口が出て、様々な管理、コントロールがされるようになってきました。例えば、幼稚園や小学校の徒競走では、ゴールで順位を付けず、みんな金メダルだ、とか、中高生の檜舞台のような大会でありながら、絶対に怪我をさせないよう無理をさせない、本気を出させない…とか。道理で、最近の若者たちは、何をするにもどんな分野でもマニュアルやコンサルタントがいると思い込んでいることが多く、書かれた手順通りに事を進ませれば成功したり、幸せになったりできると信じている人が増えているようです。
 
 
すべてを管理し、コントロールして良い環境や計算できる結果ばかりを生み出そうとして、徐々に世の中が過保護にひ弱になる中で、想像以上に荒々しく、逞しい世界が残っていくのも、私は必要だと思います。生きていくという現実には、優しさや楽しさだけでなく、厳しさや非情さ、試練や困難といったものも存在しているのですから。何事も過保護、過干渉になる時代に、神様は私たちに対して、シンプルに強くあれ、逞しくあれと語りかけてくださるはずです。いつまでも乳飲み子やひ弱なままであって、良いはずはありません。あなたも、屁理屈を越えて、強くなろう、逞しさを手に入れよう、と願われませんか? 信仰者こそ、本物の強さを身に着けることが必要です。
 
 
“そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
(新約聖書:テモテへの手紙第二 2章1節)