2019年12月31日火曜日

◆神様の恵みを受ける“当事者”となろう!

2020年1月1日付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より


突然の予算削減、設計変更などで、東京オリンピックに向けて竣工時期が危ぶまれていた東京の国立競技場が11月30日に完成し、12月の半ばにはお披露目もされました。木材をふんだんに使った、新たな存在感のある建造物となりました。今後、世界的にも注目を集めるはずです。さずが、日本。そして、各都道府県からはオリンピックの聖火リレーの走者が続々と発表されています。スポーツ選手やタレントたちなど、いわゆる有名人の比率がかなり高いのですが、一般から選ばれた方々にも、胸を張って堂々と、躍動感をもって走っていただきたいと思います。


2020年という、新たな一年のことを考えると、やはり世の中では東京オリンピックが最大の話題を呼びそうです。チームとしてオリンピック出場を目指す種目もあれば、日本国内での個人選手たちの熾烈な代表争いがこれから正念場…という競技もあります。本大会では、当然、日本選手団に大活躍してもらいたいですし、たくさんの日の丸を表彰式で見たいと思います。もちろん、全世界から集まる最高峰のアスリートたちの、文字通り、しのぎを削る大一番での全力を発揮する姿を目に焼き付けたいと思います。


とは言うものの、私は、まだ一枚もオリンピックのチケットを手にしておりませんし、具体的に出かける計画も立てていないので、このままお茶の間応援団で終わりそうです。見物人にも観衆にも、なれないことになります。ただし、めちゃくちゃ熱くなりそうなので、いつものように、テレビや新聞、インターネットの記事などを読み漁って、“お茶の間スポーツ評論家”として、この文章にも何か熱く書くことになるかもしれません。


まあ、スポーツの世界は、それでも良いのだろうと思います。しかし、私たちの人生全体を考え、この2020年のことを見る時、単に“見物人”や“野次馬”、“観客”、理屈ばかりの“評論家”で居続けて良い訳ではありません。やはり、物事と向き合う中で、“当事者”となる場面が出て来ますし、そこで逃げ腰でいたり、責任転嫁をするばかりでは、人生は決して祝福される方向へとは進まないのです。時には、自分が自分の人生の“責任者”であり、良い意味での“主役”であることを意識することです。


聖書の中でも、自分では脇役以外の何者でもないと思っていた人々が神様に引き出され、歴史の大きな物語の中で人生を生きるようになっています。アブラハム、モーセ、ヨシュア、ギデオン、サムエル、ダビデ…と、実に枚挙に暇がない状況なのです。そして、それぞれに戸惑いつつ、失敗も重ねつつ、偉大なご計画の中での生涯を実現していくことになるのです。


私たちは、2020年の日々を「恵みの時、救いの日」をテーマに掲げて歩んでいきたいと考えています。そのためには、私たち一人一人が、単なる“見物人”や“評論家”ではなく、主キリストの恵みのシナリオにおける“当事者”“中心人物”としての自覚をもって歩んでいくことが必要です。他人事である限り、神様の力やしるしは、私たちの人生に大きな恵みをもたらすことはありませんので。いつまでも隠れたままでいないで、あるいは、人の陰に隠れて誰かを当てにし続けるのでもなく、“主よ。私はここにおります。どうか、私を豊かに祝福してください!”と祈ってまいりましょう。


“……はい。ここにおります。……”
( 旧約聖書 : サムエル記第一3章4節 )