2019年8月3日土曜日

◆逞しくて、良いじゃないか!

2019年8月1日付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

 
 
九州福音センターの礼拝などで福岡にはしばしばやって来るのですが、毎年、夏休み直前に宿泊先のビジネスホテルで出くわすシーンがあります。あ、今年もあのシーズンだ!と思わされるのです。それが、高校生の金鷲旗(柔道)、玉竜旗(剣道)のそれぞれの大会です。柔道も剣道も、それぞれに全国選手権とインターハイがあるのですが、それらと並んで高校での“3大大会”の一つと位置付けられています。宿泊するホテルによっては、各地からのチームがたくさん泊まっていたりするとロビーやエレベーターが何となく“青春の香り”に溢れていて…。はい、かなり体格の良い高校生たちが、汗の匂いをぷんぷんさせながら歩き回っていますので…。
 
 
武道が盛んで、“質実剛健”の気風に溢れる九州ならではの大会だと思います。ちょっと面白いのが、その試合形式。一チーム5人でのチーム戦なのですが、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5人がそれぞれに対戦するよくある団体戦の形式ではなく、金鷲旗も玉竜旗どちらも勝ち抜き戦なのです。そう、対戦する相手に勝てば、そのまま勝ち残って、相手チームの次の選手と対戦するのです。柔道は引き分けが多いのですが、先日、新聞の結果で玉竜旗(剣道)の結果を見ると、剣道では勝ち負けの結果が出やすく、何と一人で15人抜きだとか、14人抜きなどを筆頭に、相手チームの何人もの選手を倒していく猛者がたくさんいるのです。
 
 
最近のひ弱な“教育的”スポーツの観点からすると、“一人だけが活躍したり脚光を浴びてはダメだ”とか、“一人で5人も10人も相手に休まず連続で試合をして怪我でもしたらどうするんだ”とか、“お前が勝ち続けて、出番のなかった仲間のことを考えたことがあるのか?”“一人の選手にやられてしまった3チームの選手たちの気持ちを考えたことがあるのか?”とか、つまらない批判が噴出してきそうです。東京や大阪での開催ではなく、全国的な知名度もそれほどではなく、何よりもマスコミやインターネットの餌食にされずにいるので、昔ながらの“武道”としての精神性や荒々しさ、勝っても負けてもの潔さが残っているのではないか、と思います。
 
 
最近は、運動やスポーツの世界でも、“人道的”とか“教育的”という名の元で、やたらと周囲からの手や口が出て、様々な管理、コントロールがされるようになってきました。例えば、幼稚園や小学校の徒競走では、ゴールで順位を付けず、みんな金メダルだ、とか、中高生の檜舞台のような大会でありながら、絶対に怪我をさせないよう無理をさせない、本気を出させない…とか。道理で、最近の若者たちは、何をするにもどんな分野でもマニュアルやコンサルタントがいると思い込んでいることが多く、書かれた手順通りに事を進ませれば成功したり、幸せになったりできると信じている人が増えているようです。
 
 
すべてを管理し、コントロールして良い環境や計算できる結果ばかりを生み出そうとして、徐々に世の中が過保護にひ弱になる中で、想像以上に荒々しく、逞しい世界が残っていくのも、私は必要だと思います。生きていくという現実には、優しさや楽しさだけでなく、厳しさや非情さ、試練や困難といったものも存在しているのですから。何事も過保護、過干渉になる時代に、神様は私たちに対して、シンプルに強くあれ、逞しくあれと語りかけてくださるはずです。いつまでも乳飲み子やひ弱なままであって、良いはずはありません。あなたも、屁理屈を越えて、強くなろう、逞しさを手に入れよう、と願われませんか? 信仰者こそ、本物の強さを身に着けることが必要です。
 
 
“そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
(新約聖書:テモテへの手紙第二 2章1節)

2019年2月28日木曜日

◆耐えられない試練は存在しない!

2019/03/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

 
女子競泳界のエース、池江璃花子選手の突然の白血病の公表は、ご本人も動揺と混乱を隠せなかったように、日本中に大きな衝撃を与えました。弾けるような若さと勢い、笑顔で、来年に迫った東京オリンピックで金メダルを奪取し、世界の頂点へ…と視野に入れていた矢先、誰も想像できなかった病魔との戦いの幕が切って落とされたのです。そんな彼女の早期の回復を願い、世界中から寄せられた応援の声に対して、彼女が発信したツイッターのメッセージの中に、次のようなフレーズがあります。“…私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。…”
 
 
実は、これに似たフレーズを、応援メッセージを送った他のアスリートたちもしばしば使っていることに気付きました。このフレーズが、ご本人のオリジナルなのか、周囲にクリスチャンや教会の関係者がいるのかはわかりません。メディアの報道では、長い文章の中で使われたにもかかわらず、この部分だけが切り取られて使われていることも多いように思います。ある意味で、今の厳しい状況の中で、何かフィットする感覚のある表現だと、多くの人が感じているからなのでしょう。
 
 
この表現を、どのような意味で、皆さんは理解しておられるのだろう…?と、考えてみました。中には、難病との取り組みの中で、回復への流れや治癒の可能性が簡単に説明できない辛さやもどかしさ故、さらに少々感傷的な思いも込めつつ、こんな表現に頼って、応援メッセージとして語っている…という人々もいるように思います。しかし、当の池江選手は、もっと強い意思と願いと共に、このフレーズを選択していることは間違いありません。
 
 
人生の窮地に陥った時、“神”を口にするのは、強いことですか、それとも弱いことでしょうか? 実は、それがこのフレーズの味わい処。“困った時の神頼み”などという諺からすると、日本人の多くは、弱さや不確かさ、さらには、もうどうにも逃げ場がない絶望感を持って“神”に頼るようです。しかし、本当の信仰者は、たとえ絶望の淵に追い込まれることがあったとしても、“神”による助けや導き、そして事態の大逆転まで描きつつ窮地からの脱出と、逆説的に勝利を告白します。神が共におられることが、私たちのどうしようもない弱さにおいても、恵みのみわざを体験させることになるのです。
 
 
池江選手を応援するにしても、あるいは自分自身を取り巻く今の状況について語るにしても、私たちは信仰者として、この表現が持ちうる最大限の力強さと、その向こうに浮かび上がってくる希望や勝利をしっかりと意識する者でありたいと思います。私たちの人生は、私たちだけの孤独な歩みではありません。天地宇宙を創られ、私たちにいのちを与えられた神様が共にいてくだるのです。たとえどうしようもない弱さを感じる事態に遭遇することがあっても、絶体絶命だと思わされるような場面を体験していても、神様と共にある私たちには、希望と勝利への道筋が確実に用意されているのです。
 
 
このフレーズを、単なる気の利いたもの、状況にフィットする表現だからという程度の利便性で用いて、本当にただそれだけで終わってしまうのではなく、そこに秘められている大きな力を体験する者となりたいと思います。この言葉は、聖書の言葉。神の御言葉です。しっかりと受けとめ、自分のものとして告白するならば、そこに大きな力が生じます。道が開かれます。奇跡さえ起こるのです。池江選手を応援するにしても、自分自身に語りかけるにしても、この神の言葉が約束する、大きな力と可能性を信じつつ告白してまいりましょう。どのような窮地からでも、神様は助け出してくださいます。
 
 
“あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、
耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。”
(新約聖書 : コリント人への手紙第一 10章13節)

2019年2月25日月曜日

人生を自分のスタイルで!

2019/2/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。

 北日本、東日本では大雪のニュースもしばしばであったこの冬、西日本はさして冷え込むこともなく、むしろ暖冬の様相の日々が続いています。すでに梅は満開。これから桃や桜の話題が届きそうです。寒さの底から、春の日々へ。たとえ冬の寒さを感じていても、あなたの心まで縮こまってしまわないように。春に向けて、伸び伸びした心の状態を整え、祈りつつ、夢やビジョンを改めて意識しつつ、歩んでまいりましょう。



 フィリピンの大集会の中で! 


 去る2月14日(木)から17日(日)にかけてフィリピン・マニラに出張していました。今回はメトロの子どもたちに会いに行くのではなく、世界的な伝道者ウィル・グラハム先生の当地で行われている大集会に参加し、ウィル先生に直接交渉するためです。数年後の“全四国キリスト国際伝道大会(仮称)”を全四国の300教会を巻き込んで実現しようと、すでに多くの牧師先生方の賛同を得て準備を始めているのですが、肝心のウィル先生からの確約が得られていないため、これはもう直接お会いして話を前に進めなくては…という計画です。

 しかし、相手は、ビリー・グラハム先生を祖父に、フランクリン・グラハム先生を父に持つ、世界最大の伝道団体の先生です。相手にしてもらえないかも?と思ったりもしたのですが…。しかし、行動してみれば、心配は全くの杞憂に。訪れた日本の私たちのために会食の席を特別に設けてくださり、そして、私の語る言葉に本気で食いついてくださったのです。ウィル先生の周囲の方々が、“万代先生のプレゼンは凄かった。あんなに心を動かされたウィル先生を初めて見ました”と口々に語りかけてくださる結果に、感謝しています。



 大集会の中での恵み! 


 今回の訪問の、一番の目的を果たすことができて感謝だという以外にも、大きな祝福をいただきました。ウィル先生は、世界のどこに行っても、何万人~何十万人もの会衆が集まってもおかしくない伝道者です。私のインド伝道などに比べると、投入している金額や機材、動いている人材の豊富さなど、実はどれもおそらく桁違い…。普段、あまり他の伝道者の大会に出たことのない私としては、自分自身がどんな風に感じるのか、実は興味津々だったのです。もしかすると、日本人らしく委縮してしまい、劣等感でも感じるのか?と。

 それが、全く平然、当たり前、日常のような感覚で、その大会の中に身を置いていました。むしろ、説教の無い分、気分的にはのんびり。そして、ふと感じたのです。“あ、これは私の生きる道なのだ、同業者の感覚なのだ…”と。世界一の伝道団体の仕掛けた大会であり、桁違いの装備や溢れる人材、バスも230台も借りた…などという話題を耳にしつつ、どこか私にとっても日常的で、もう一つの世界宣教の現場をごく当たり前に受け止めている自分を発見し、何だか感謝でした。自分の召されている道を改めて示された感覚です。



 神に選ばれた自分自身を愛すること! 


 何かにつけ人を羨んだり、真似をしたり、流行がいつも気になり、人と自分を比較して優越感や劣等感に苛まれたり…では、本当の自分らしい人生は動き始めません。人は人、自分は自分。大事なことは、ありのままの自分を選び、愛して救ってくださった神の恵みにより、今、確かに自分の人生は動いている、という事実です。クリスチャンとなる幸いは、自分の生きるという事実に対して、変な恐れや不安、迷いから解放されることにあります。

 イザヤ書30章21節には、こうあります。
あなたが右に行くにも左に行くにも、
あなたの耳はうしろから
「これが道だ。これに歩め」
と言うことばを聞く。
(イザヤ書30:21)

 人に媚びる必要はありません。世の中に認められる平均でなければならない訳ではないのです。一番の基本は、神様があなたに与えてくださった人生をしっかりと生きれば良いのです。

 私は日本人の牧師であり、説教者です。日本の教会は小さく、世界の大教会や大宣教団体のようにはいきません。しかし、それで良いのだ、もがきながらの前進であっても、そこに他でもない私の献身者としての生きる道がある、と示していただけました。



 神から与えられた自分の人生を生きよう! 


 あなたの人生は、神様から与えられた特別なもので、あなたしか生きることのできないものです。人の意見や世の中の流行に惑わされず、粛々と自分の信仰者としてのスタイルで日々を歩んでまいりましょう。

  1. あなたの“選び”の深さを知ろう!(エペソ  1:4)
    あなたとの関係を持つために、神様は世界の基が置かれる前からあなたを選んでいてくださったとパウロは明言しています。神様との繋がりはそれほど深遠なご計画によるのです。
     
  2. あなたの“使命”の尊さを思おう!(イザヤ 49:5)
    預言者イザヤは、彼に与えられた使命が、実は母の胎にいる時にすでに神の御心において決定していたと語っています。あなたに委ねられた使命は思い付きや偶然ではありません。
     
  3. あなたの“出会い”の意義を忘れずに!(ヨハネ 15:16)
    キリストとの出会いやクリスチャンになったことを自分の決断のように思い込む私たち。主キリストは、ご自身が私たちを選び、愛されたのだと、神の働きかけを語られています。
     
  4. あなたの果たすべき“任務”があります!(マルコ 5:19)
    墓場に住む狂人のような男であっても、救われた時には、主は任務を言いつけられました。あなたが、主キリストを信じ救われた時、なすべきことが語られ、示されているはずです。
     
  5. あなたの、主から与えられた“人生”を歩むべきです!(ヨハネ 21:22)
    他人や世の中の動きや言葉に惑わされるのではなく、主に仕える道をまっすぐに進むべきです。隣の人の歩みを気にするペテロに、あなたはわたしに従え!と主は諫められました。



 Make It Happen ! を自分のものにしよう! 


 神様から与えられた人生を、しっかりと自分らしく、自分のスタイルで進めば良いのです。大切なことは2つだけです。一つは、あくまでもあなたの人生ですから、“あなたらしく”ということ。あなたのスタイルに誇りをもってください。クリスチャンとしての価値観や行動の指針をいつも堂々と意識することです。そして、二つ目には、あなたのいのちは“神様から与えられた”ものであり、神様への感謝や御心への思いを軽んじないことです。そうすれば、大丈夫!あなたの人生の歩みは、神の力により自ずと輝いてくるのです。

 2019年の一年は “Make It Happen !” を、実体験する歩みであるはず。ですから、物真似や、誰もがしているから…というような安っぽい動機により祈るのではなく、紛れもないあなた自身の人生に、神の御手のみわざが起こることを体験しようではありませんか! “これが道だ!これに歩め!” と、あなたを励まし、導き、力づけてくださる主が共にいてくださいます。主キリストと共に、自分の人生を、自分のスタイルで歩んでまいりましょう。



 さあ、ご一緒に祈りましょう! 


 あなたの2019年の日々が、確実に恵まれたもの、幸せな時となりますよう、ご一緒に祈りましょう。
 以下の祈りを、あなたの声に出して、心を込めて祈ってみてください。

*******************************

天の神様。どうか私に、自分自身の人生の生き方を見直す機会をお与えください。
世の中の平均点や、人並みであることばかりに心を奪われている私の心を、どうか信仰により整えさせてください。
信仰者として、神の御心を歩む自分であるべきだと教えてください。

主イエス様。あなたが私を救い、いつも共にいてくださることを私は決して忘れません。
あなたによって救われたという事実には、想像をはるかに超える神の選びやご計画、導きがあったことを私に理解させてください。主よ、あなたと共に歩めることを感謝します。

聖霊なる神様。今、私の内に宿り、魂の状態を探ってください。
心から御霊に満たされて生きていくことを求め、喜ぶことができますように。
あなたの賜物を豊かにいただき、それを働かせ、御霊の実を結びつつ、日毎に前進することができるよう導いてください。

主キリストの御名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。


*******************************

 どんな不安や恐れ、心配事であっても、主キリストの御名で祈る時、その瞬間から必ず最善の解決に向けて動き始めます。あなたの人生を、誰かの猿真似や安っぽい世の中の流行に追従するだけで終わらせてしまいませんように。一人のクリスチャン、主キリストの愛を知る信仰者として、堂々と信仰の証しをしつつ、喜びと平安を持って前進しましょう。
 さあ、神様から与えられた素晴らしい人生です。信仰による自信をもって、あなたらしいスタイルで、堂々と、喜び感謝しつつ歩んでまいりましょう。
 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。

2019年1月31日木曜日

◆思いもよらぬ恵みの出来事!

2019/2/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より


先日、松山で仕事をしていた日、南海放送でのラジオ放送の収録を終え、松山福音センターへと自分の車を運転して帰る途中、片道三車線の大通りで、赤信号で停車した時です。ふとバックミラーに目をやると、真後ろに停車した車のドライバー側の扉が開き、男の人が車外に出て来ました。強面の50代くらいの作業服を着たおじさん(…私の方がもっとおじさんだったかもしれませんが…)が、早足でこちらに近づいて来ます。こ、これは?もしかすると今、話題の“あおり運転”の一種なのか?何か、いちゃもんでも付けられるのではないか?…と嫌な感覚が心をよぎりました。


すると、本当に私の運転席の横に来て、窓ガラスをかなり強めにノックするではありませんか? 少々、動揺しながら窓を15㎝くらい開けました。「は、はい?…」。すると、その男性は、ちょっと荒っぽい口調でこう言ったのです。「ドアに、鍵が付いたままだ!」…「あ、ど、どうも…」…確かに、私のたくさんの鍵をまとめたキーホルダーごと、ドアのカギ穴に挿したまま走っていたのです。出発前、荷物の積み下ろしをし、いつもと違う手順で運転し始めたもので、どういう訳かドアにカギを挿したまま、運転席に乗り込んで、ワイヤレスの鍵でエンジンをかけていたのです。


すぐに青信号になりましたので、鍵を取って、自動車を発進させました。…一瞬、ビビッていたのが、文句を言われるのではなく、実はとても親切な方だった。あのまま運転し、鍵を失くしていたら、教会や自宅の鍵も一緒だったので、とても不便なこと、不都合なことになっていたはず…と事態を理解し始めました。そうすると今度は、あの声を掛けてくれた人に、丁寧にお礼の言葉も言うことができず、ああ、申し訳なかった…と後悔の念が湧き上がってきました。どこのどなたであったか、もはや確認のしようもなく、教会に到着するまでの10分あまりの時間、感謝とお詫びの気持ちでいっぱいになり、ただ祈る感覚になっていました。


“人を見たら泥棒と思え”などという諺がありますし、昨今の世の中を見ていると、確かに悪い人も相当増えているのも事実。しかし、日本の社会には良い人もまだまだたくさんおり、もしかすると、神様がその人を用いて、私を不都合から守ってくださったのではとも思え、悪い予感しか持てなかった自分の狭い心が恥ずかしくなりました。私たちは、自分の感情や考え、直感がいつも正しいと思い込む癖があります。しかし、それが全てではなく、むしろとても狭い考えにすぎない可能性を認めなければなりません。


神様を信じていて感謝なことは、私たちの常識や思い込みの枠を超えて、神様はしばしば豊かな恵みを注いでくださる、ということ。私たちの思いも及ばぬようなことを神様はなしてくださいます。聖書が語るのは、常に私たちと共におられ、愛し、導いてくださる救いと恵みの神様がおられること。天地宇宙の創造主であられ、いのちの与え主であるお方が、私たちを守り、祝福してくださるのです。自分という小さなものが、狭量な感覚だけに固執して生きるのではなく、小さく弱いものだからこそ、測り知れない神様の豊かな恵みを受けつつ生きていくことができるのは、本当に感謝なことなのです。あなたの毎日の歩みも、神様の御手の中で、守られ、導かれています。恵みの神様のみわざを素直に受けとめつつ、感謝を持って歩んでまいりましょう。


“まさしく、聖書に書いてあるとおりです。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」”
(新約聖書:コリント人への手紙第一 2章9節)

2019年1月24日木曜日

Make It Happen ! さあ、信仰を働かせよう!事を成し遂げよう!

2019/1/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。
 
 2019年が動き始めたと思ったら、1月も早、後半です。あなたの2019年は、ちゃんと動き出していますか?いわゆる、御屠蘇(おとそ)気分での祈りやビジョン、目標設定で終わることなく、さあ、信仰を整え、自分の行動を見直して、しっかりと事を動かしてまいりましょう。今日からのあなたの実生活に、主キリストからの豊かな力と導き、祝福を、とお祈りいたします。



 今年のテーマは “Make It Happen !” 


 “Make It Happen !”…“メイキッヘップン!”とカッコ良く、大きな声で発音してみてください。いかにも英語的な表現なのですが、事をその通りに起こさせよう、とか、そうさせよう、そうしてみよう…といった意味です。時には、誰かが言ったことに対して、頑張れ!やってみろ!という意味にもなります。今年のテーマとしては、“さあ、信仰を働かせよう!事を成し遂げよう!”と続けさせていただきました。私たちが信仰を持って歩んでいることにより、確かに何か素晴らしい事柄が起こる…、そんな生き生きとした2019年を歩んでいきたいと思います。

 謳い文句や言い草だけ、口先だけ、能書きだけの信仰ではなく、実際に神様の力が働く信仰生活を体験してまいりましょう。日本人の私たちは、“信仰”というとどうも変な力みが入ってしまい、妙に理屈っぽくなったり、道徳の講釈のように小難しくなる一方…ということが起こります。しかし、聖書の語る信仰の原点に立ち返れば、拠り所とするのは私たちの力や頑張りではなく、共にいてくださる神様の力やみわざにあずかることができる、という点に行き着きます。ですから、神様からの力をもっと素直に受け止めて、大きな祝福を体験してまいりましょう。



 成長すること! 生み出すこと! 


 去る成人の日に先立つ週末に、長野県下伊那郡の喬木教会に招かれ、「新年聖会」でメッセージを語らせていただきました。同教会では、JRのリニアモーターカーの線路や新駅建設に当たって、立ち退き、移転の話題が出ているのですが、メッセージの中で、今回のチャンスを単なる移転に終わらせず、大きな成長へのきっかけにしましょう!と語らせていただきました。そこにおられた皆さんも、語っている私も大いに燃やされ、共に熱く祈ることができました。

 そもそも“いのち”を与えられている、ということは、それ自体が成長するか、あるいは、新たないのちを生み出すか…ということが求められています。教会も、聖霊のいのちをいただいているならば、それ自体が成長し、また新たな教会を生み出す、といった“いのち”の基本を忘れてはならない、と思います。信仰者である一人一人も、自分の信仰の明確な成長を求めるべきですし、誰かに福音を伝えていく、ということで、主キリストにより与えられた“いのち”を大切にして、歩んでいただきたいと思います。



 “Make It Happen !” の一年を! 


 新約聖書:マルコの福音書11章23節には、次のように記されています。


まことに、あなたがたに告げます。
だれでも、この山に向かって、
「動いて、海に入れ」と言って、
心の中で疑わず、
ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、
そのとおりになります。
(マルコの福音書 11章23節)


 思わず、そんなことあり得ない!と叫びたくなる方もおられるかもしれません。しかし、これが、実際に、主イエス・キリストが語られた御言葉なのです。その直前の22節には、“神を信じなさい。”とあり、この御言葉が、誰か特別な信仰者に語られたものではなく、主が信仰を勧められたすべての信仰者に対する約束として語られていることを見逃してはなりません。

 “山”は、武田信玄が掲げた旗印に染め抜かれた“風林火山”に「動かざるごと山の如し」とあるように、動かないのが当然。動く訳がありません。人の理屈でも自然界の法則からしても動かないものなのです。しかし、私たちと共におられるお方が、私たちの理屈や自然界の法則の縛りの中におられる存在ではなく、すべてを超越された創造主なるお方である時に、話は変わってきます。私たちの力や頑張りではなく、神様の力により、時には私たちの目には奇跡と思われることさえ起こるのです。



 自分の信仰を整え直そう! 


 私が強気でそう言っているのではありません。聖書の御言葉を素直に読めば、何度も主キリストご自身がそのように力強く語っておられるのです。どうか以下の箇所を、あなたへの御言葉として受け止めてください。

  1. 信じる者には、どんなことでもできる!と、宣言されました。(マルコ 9:23)
    “信じている”と口にしつつ、実は疑っている…というようなことが起こります。創造主である神様にはどんなことでも可能である、不可能は可能となる、と信じましょう。
     
  2. 信じるなら、神の栄光を見る!との約束をくださいました。(ヨハネ 11:40)
    人をあきらめさせ、落ち込ませるものが存在しています。癌、破産、死…しかし、神様の物語にまだ終わりが来ていない以上、しっかりと栄光とみわざの現われを信じましょう。
     
  3. 信仰の薄い人だな、と疑いへの警告を発せられました。(マタイ 14:31)
    主が共におられると知っていながら、それでも疑ってしまう弱さが私たちにはあります。共におられる主を信頼し、委ねていくことを学び、体験してまいりましょう。
     
  4. 信じたとおりになる、との励ましをくださいました。(マタイ 8:13)
    “信じたとおりになる!”なんてあり得ないと思っていませんか?しかし、“信じる”対象が主の御言葉ならば、私たち人間では決して起こり得ない事柄でも実現するのです。
     
  5. あなたの信仰があなたを直した、と信仰の力が宣言されました。(ルカ 18:42)
    弱い私たちの頼りない信仰が主キリストに向かい、主の力により祝福される時、ちから強い信仰へと変えられるのです。あなたの信仰の持つ可能性を過小評価してはなりません。



 祈りや願いの実現を目の当たりにしましょう! 


 あなたの信仰を、理屈や現実の小さな枠の中にがんじがらめにしてはなりません。もちろん、あなたの人生訓や道徳観の範囲で終わらせることも虚しいのでやめにしましょう。聖書が語る、神が共におられ、常に働かれる“いのち”溢れる世界を、私たちのものとしてまいりましょう。信仰を持つことで、神様があなたに与えてくださる豊かな自由を、ご自分のものにしてください。あなたは、神様の恵みの世界の中で、自由に祈り、願い、求めることができます。そして、信仰によって願った事柄は、一つ一つ実現していくのです。

 さあ、2019年のあなたの歩みを通して、あなたの信仰によるビジョンが実現しますように。願い求め、祈り続けてきた事柄が、しっかりと形となりますように。主キリストが共にいてくださる私たちの歩みが、どれほどワクワクし、喜びや楽しさが溢れるものなのかを、あなた自身が実体験してほしいのです。仕事の祝福や病気の癒し、子育ての不安からの解放、ご両親の介護における平安、経済の必要が満たされること、こじれた人間関係の劇的な回復…、あなたの実生活の中に、主キリストの御手のわざがなされますように。共に、シンプルに、素直に信じて、祈りつつ前進してまいりましょう。



 さあ、ご一緒に祈りましょう! 


 あなたの2019年の日々が、確実に恵まれたもの、幸せな時となりますよう、ご一緒に祈りましょう。
 以下の祈りを、あなたの声に出して、心を込めて祈ってみてください。

***************************

天の神様。どうか2019年の日々を豊かに祝福してください

私の信仰が、自分を当てにしたり、理屈や観念の範囲内だけで終わるものでなく、まことの神様であるあなたに結び付くものでありますように。

あなたが全知全能の神であることを思い起こさせてください。

主イエス様。あなたが私を選び、愛し、ご自分のいのちまで捨てて、救ってくださったという救いの恵みを忘れることがありませんように。

あなたは常に私と共にいてくださる救い主であることを忘れません。

私のこの一年の歩みは、あなたと共に歩むものです。

聖霊なる神様。今、私を力と喜びで満たし、感謝と讃美をお与えください。

私が人間的な力だけに頼って生きるのではなく、御心に適う真に霊的な歩みをお与えください。

御霊の実や賜物の豊かに現れる霊的な空間が、常に私を覆っているようにしてください。

主キリストの御名前により、この一年の祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

***************************

あなたの2019年の日々が、しっかりと信仰を働かせて、事の実現を見るものとなりますように。一人の信仰者として、素直に主キリストを信じて、日々、祈りつつ、讃美し、感謝しつつ歩んでまいりましょう。
さあ、“Make It Happen !”を合言葉に、それぞれに信仰を働かせて、大いに祝福されてまいりましょう。

あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。
 
 

2018年12月30日日曜日

◆Make It Happen!…さあ、願いを実現させよう!◆

2019/1/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

お正月には、普段は信仰心の無い人までが、初詣に…というのは、いかにも日本の光景です。テレビでは、ぞろぞろと何千、何万人の人がお参りのために参道を歩いていく様子が映し出されますし、皆、見様見真似でお賽銭を投げて、一年の願掛けをする訳です。しかし、そこでの祈りをどれほど真剣に捧げているか?と言えば、“ま、そういうものですから…”と、あやふやな答えしか返ってこないはず。文化や慣習としての初詣は確かに残っているのですが、そこに本当の信仰心があるのかどうかは怪しいものです。


私が大学生の頃、どのように年越しをするか、と友人たちと話をしたことがあります。お寺の除夜の鐘を聴きつつ、夜中の神社に向かう…といかにも宗教のごちゃまぜになった典型的な日本人らしい答えの友だちもいる訳で、私は、自分はクリスチャンだから、当然、教会で神様に祈りながら年を越すし、元日には新年礼拝も必ず守る…と説明しました。すると、ある一人の友人が、自分はいつも普段しないことをしながら年を越す、と言います。例えば?と訊くと、前回は阪急電車の中で逆立ちして、年越しの瞬間を迎えた、とのこと。そういうのが、年越しの流儀なのだとか。それはそれで、若者らしい他愛もないことなのですが、人生をしっかりと生きることに目が開かれて、新たな一年を真に価値ある、幸せなものにしようと考えるなら、もう少しちゃんとした仕方で新たな日々を受けとめたいと思いませんか? ぜひ、そうしましょう!


2つのことを心にとめてください。一つ目は、これです。400年を超えるエジプトでの奴隷生活からの解放を求め、いよいよその奇跡が神様によって実現しようとする時、イスラエル人の指導者として選ばれたモーセに対して、神様は次のように言われました。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」(出エジプト12:2)と。すなわち、私たちに与えられた時を、神様が働かれ、偉大なみわざを成してくださる時として、しっかりと受け入れることです。ただ、何となくの新年で終わらせるのではなく、神のみわざの成される年、恵みの日々となることを意識することです。


次に、本当に信じたとおりの恵みが現されるよう、信仰を持って祈り、真剣なこだわりを持つことです。最初に祈りはしたが、その後、いつのまにか忘れてしまうような中途半端な目標ではなく、しっかりと実現することを見るまで、信仰を貫き通したいと思います。聖書は明確に、神様からの預言は成就し、約束は叶えられることを証ししています。祈りは、答えられるのです。夢は実現します。だから、あなたの祈りの願いが実現するまで、簡単にあきらめてほしくないのです。


さあ、信仰によって事が成ることを、しっかりと体験する2019年としましょう。時代も平成から新たな時代へと進んでいきます。あなたの信仰生活も、さらに力強く神様からのみわざを体験するものへと飛躍されますように。ただ何となく信じるというのではなく、そう「Make It Happen!…願いが実現すること」を体験しましょう。主キリストは、必ずあなたと共にいて、あなたを支え、素晴らしいみわざを成してくださいます。あなたの新たな一年の日々に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りします。


“主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、
何と幸いなことでしょう。”
(新約聖書 : ルカの福音書1章45節)

2018年12月21日金曜日

メリエスト・クリスマス!…最上のクリスマスを!

2018/12/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。

 クリスマス、おめでとうございます。今年は例年には珍しく何だか秋が長かった印象なのですが、それでもクリスマスが近づいて来て、やっと冷え込んできました。あなたのクリスマスの日々に、クリスマスの主役である主キリストご自身からの恵み、喜び、平安が豊かに注がれますように。あなたに最上、最高のクリスマス…Merriest Christmas(メリエスト・クリスマス)…が訪れますように。



「災」の2018年!


 2018年、今年の漢字に「災」が選ばれました。これは、私の予想通り。ラジオの番組の中でも、きっとそうなるよ…と話していたのですが、まさに予想通りの展開でした。と言っても、そうなるのが誰の目にも当然のような2018年の日々だったからです。

 特に、6月の大阪北部地震では登校途中の小学生の女の子が倒れたブロック塀の下敷きになり犠牲に…。七夕の時期には西日本の広範囲が集中豪雨の被害に。広島、岡山、愛媛など、瀬戸内の自然災害の少ないとされていた地域で、何と200名を超える犠牲者が出ました。夏の間は、相次ぐ台風の被害で、関西空港が水没したりで毎週のように被害が出ましたし、9月の北海道の大地震では全道の電気が止まり、社会生活に大きな影響が出ました…。と確かに、「災」の一文字が選ばれるのも尤もらしい一年だったのです。ただ「平成」最後の一年が、「災」で締めくくられるというのは誠に残念なのですが。



あなたの一年は大丈夫?


 …と、ここまでは世の中全体の「災」の話なのですが、あなたのこの一年はどんな一年だったでしょう? あなたの毎日まで「災」や「禍」の連続となっていませんように。本気で気を付けておかなければならないのは、私たちのいのちは常に“関係性”の中に置かれ、生きているという事実があるということ。すなわち、どれほどあなた自身はしっかりと頑張っているつもりでも、周囲の人々や置かれた環境から、少なからず影響を受けてしまうものだということ。

 不機嫌な人々に囲まれていれば、あなたの心も明るくなるよりは暗いものになりがちですし、不況や災害、犯罪のニュースが溢れていれば、私たちの心も自ずと重いものになってしまうのです。だからこそ、まずは周囲がどうであれ、自分自身の心の平安と喜び、感謝の状態をちゃんと維持できる精神的、霊的環境を整えておくことが大事になります。



「闇」から「光」、「災」から「幸」へ!


 私が、聖書の語る“福音”にこだわり続けるのには、理由があります。それは、「闇」を「光」へ、「災」を「幸」へと実際に変える力が聖書の語る“福音”にはあるからです。この“福音”の中心が、言うまでもなく、神の御子、主キリストが私たちの救い主としてこの世に現れてくださり、十字架において救いの道を整えてくださったという事実なのです。確かに、私たちを取り巻く「闇」は存在していても、「すべての人を照らすそのまことの光(ヨハネ1:9)」であるお方が現れてくださったというのです。



救い主と共にある奇跡!


 主キリストの誕生を祝うクリスマスが、2000年も祝われ続けてきたのには理由があります。ただ、何となく楽しかったからではありません。この救い主が、簡単に名前倒れしてしまうような陳腐な存在ではなく、この方を心に信じ受け入れた人々は、確かに救われ、人の力を超える神の恵みを体験することができたのです。

 旧約聖書のイザヤ書9章には、イエス・キリストの誕生に先立つこと700年以上も前に書かれたものでありながら、この救い主誕生の預言とされる言葉が記されています。その一節に、
やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に
光が照った。
(イザヤ書 9章2節)
とあります。救い主の誕生する何百年も前から、「闇」が「光」へと変えられることは約束され、そして、今、主キリストの誕生以来、2000年経った今日においても、「災」は「幸」に、「死」は「いのち」に変えられる奇跡が起こるのです。このことが歴史の中でずっと起こり続け、今も世界のあちらこちらで起こっているからこそ、クリスマスの祝は様々な歴史の波や社会の変化に揉まれつつも、今まで続いてきているのです。



救い主キリストにより引き起こされる変化!


 主キリストがもたらしてくださる恵みは、単に宗教的な概念に留まるものではありません。実は、あなたも自分の人生の歩みの中で自らの身をもって体験することのできるものなのです。救い主キリストと、あなたの人生の接点が生み出す奇跡の可能性に気付いてください。

  1. 「嘆き」が「踊り」に変えられる!(詩編 30:11)
    物事がうまく運ばず、嘆きや悲しみに暮れることが誰にでもあるもの。しかし、神の恵みに触れる時、喜びや踊りたいほどの感謝に満ち溢れる、という奇跡が起こり得るのです。

  2. 「いなくなっていた者」が「見出される」奇跡!(ルカ 15:24)
    人間関係でも、自分の大切な仕事でも、あれほど大事だったのに喪失する、失うということが起こります。しかし、それを主キリストの愛は回復させてくださるのです。

  3. 「失われていた者」が「救われる」恵み!(ルカ19:10)
    自分のやり方で猪突猛進しても、神様から離れて行くばかり…ということが起こります。本当の平安のある神の臨在への復帰ということが主キリストによって可能になります。

  4. 「見えなかった者」が「見えるようになる」祝福!(ヨハネ 9:25)
    人生の光を失い絶望する以外に選択肢のなかった人であっても、主キリストと出会う時に光を見、人生の歩むべき道筋が示されるのです。新たな歩みが実現します。

  5. 「死」が「不死」へと変えられる奇跡!(第一コリント 15:54)
    人生の最後は死、絶望のみ、という究極の運命を、主キリストはご自分のいのちを捨てて、永遠のいのち、不死の世界への扉を開いてくださいました。死が終わりではないのです。



救い主キリストとの接点を持とう!


 あなた自身が、本当のクリスマスの喜びを体験するためには、単に上っ面の騒ぎや演出だけのもので終わらせず、救い主キリストとの心の接点を持つことです。主キリストがこの世の罪を取り除くために来られた…という物語を、私の罪を取り除き、私の「闇」に「光」を照らしてくださる、と個人的な出来事としてとらえることです。

 人は、それぞれの個性があり、人生も様々です。が、共通して言えることは、誰もが弱さや足りなさを有し、力不足を感じることがあるということです。完全だと言える人は一人もいませんし、実は、聖書の言う通り、人は誰もが罪人なのです。だからこそ、救い主キリストの「光」をいただく時に輝き、本来の「いのち」の喜びを体験することができるのです。と言うことは、あなたも救い主キリストとのしっかりとした出会いと交わりを持つことができれば、「闇」から「光」、「災」から「幸」への劇的な変化を受けとめることができるのです。このクリスマスに、あなたの心で、救い主キリストのいのちをしっかりと受け止めてください。そこから、あなたのための奇跡の物語がきっと動き始めます。



さあ、ご一緒に祈りましょう!


さあ、次の祈りを、あなたも一緒に祈ってみてください。

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天の神様。私が体験している今年のクリスマスが、ただ慌ただしく過ぎ去るもので終わりませんように。

あなたが、私の人生のために用意してくださっている救いと恵みのご計画を、しっかりと受け止めることができますように。

私の心を、信仰で整えさせてください。

主イエス様。あなたが私の救い主となるために、この世に現れてくださったことを、心から感謝します。

私の心は、あの馬小屋の飼い葉桶以上に汚れているかもしれません。

そんな罪深い私の心にも宿り、罪を清め、救ってくださったことを、心から感謝いたします。

聖霊なる神様。どうか私を救いの喜びに満たし、力を与えてビジョン、目的のある人生を歩ませてください。

私の心をいつも喜び、祈り、感謝で満たし、信仰による真の可能性のある毎日を歩ませてください。

私の口に、いつも讃美と感謝が満ち溢れていますように。

主キリストのお名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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 心配や不安が膨らむ前に、何事も、まず祈ることです。祈ることで、問題は必ず解決に向かいます。神様は祈りに答え、助けてくださり、守りと祝福を現してくださいます。常識を超える、神様からの力や助けを信じ、それを実際に体験してまいりましょう。
 さあ、私たちはどのような場合でもクリスチャンらしく、神様に目を向けて、信仰を働かせてまいりましょう。信仰による勝利を体験しましょう。

 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。

2018年12月1日土曜日

◆“最強のクリスマス”をあなたに!

2018/12/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より



  • “最強のクリスマス”などと言うと、確かにちょっとヘンテコな表現なのですが…。でも、そんな力強いクリスマスの祝福を、あなたにもしっかりと受けとめてほしいのです。聖書が語るオリジナルのクリスマス、正真正銘のクリスマスは、そんなふうに表現して良いほど、力と可能性に溢れたものなのです。

  • クリスマス・ツリーを可愛らしく飾る…、街には美しいイルミネーションが輝く…、商店街を歩けばどこからともなくクリスマス・キャロルの調べが響いてきて…、楽しいクリスマス・パーティーを企画して心がウキウキして…、もちろん、愛する人々へのクリスマス・プレゼントを心を込めて用意して…、サンタクロースに扮して子どもたちに配り…と、どれもクリスマスに関わる温かなイメージですし、悪いものではありませんし、むしろ良いもの、人の心を幸せにするものです。しかし、それがクリスマスの本質か?と言えば、そうではありません。実は、もっと力に溢れたものなのです。

  • 世界で最初のクリスマスから2000年も経つと、クリスマスに付随するイメージはいろいろな方面に拡大し、中には歪められたり、全く的外れなものまで生まれてきます。たとえば、田舎町の教会で、玄関先の木にクリスマスの飾り付けをしようとしていた牧師さんに、近所のおじさんがそのツリーを見上げなら言ったというのです、「へぇ~、最近は教会でもクリスマスをするんですかぁ?」。あるいは、最近の女子高生同士の会話では、「イエス・キリストって、めっちゃラッキー! だってクリスマスに生まれたから、きっと誕生日ごとに、みんなからたくさんプレゼントもらえるよね?」。あるいは、ある社長さんは、年末の資金繰りや支払いに必死の折、“クリスマス”が“苦します!”にしか聞こえず、“苦します!苦します!”と嫌な響きでしかなかった…とか。

  • “クリスマス(Christmas)”とは、“キリスト(Christ)”と“儀式、祭り(mass)”の合成語で救い主イエス・キリストの誕生を祝う時…“キリスト祭り”を意味します。聖書は、私たちすべての人間の持つ罪や心の汚れを清め、罪を背負って十字架に掛かり、身代わりの死を遂げるために、この世に現れてくださった神の御子、救い主キリストの事実を記しています。神の御子が、救い主として、一人の人としてこの世に生まれるなど、考えられないことでした。そもそも、神の恵みと愛の世界と、愚かで罪深い人間の世界が接点を持つこと自体が、絶対にあり得ない出来事なのです。それを、神の霊、聖霊が働きかけ、不可能を可能にしたのです。そればかりか、この救い主を心に受け入れた人の心や人生にも、人の力の限界を超えた、神による可能性、聖霊が力強く働き、死や絶望、限界や敗北に代えて、大きな恵み、奇跡までもが実現していく、というのです。

  • もっと端的に言えば、この文章を読んでおられるあなたにとって、絶対に不可能で起こり得ないはずの、あなたの弱さを克服し、くじけやすいあなたの心を強め、決して色あせることのない幸せや喜びを実現し、不可能を可能にする神の力が、クリスマスの事実を受け入れるあなたの上にも働く、というのです。クリスマスには、単なるほのぼのとした温かなイメージ以上の、凄まじい力が、事実として秘められており、それを私たちも実体験することができる、というのです。

  • 男性と何の関係もない自分の身体を通して救い主が生まれる、などという荒唐無稽なことは起こらない、と断じるマリヤに対して、御使いガブリエルが語った言葉は、実は今も、私たちに対して有効なのです。ここに、“最強のクリスマス”を宣言する根拠があります。そして、あなたにも、この“最強のクリスマス”の秘訣を受けとめてほしいのです。救い主イエス・キリストの奇跡を、あなたの心で受けとめてください。あなたの心、魂、人生の中に、神の恵みと救いの世界、限りない聖霊の力と可能性の世界が動き始めます。だから、…クリスマス、おめでとうございます!

“…神にとって不可能なことは一つもありません。”
( 新約聖書 ルカの福音書 1章37節 )


2018年11月28日水曜日

こどもクリスマス会!

九州福音センターの教会学校から、こどもクリスマス会のお知らせです。

12日(
午後1時~午後3時まで
入場無料!


九州福音センターの事務局で開催されます。
(福岡市博多区博多駅前4丁目11-6 第5いそのビル707)

元気なお子さんも、おとなしいお子さんも、大歓迎です!ヾ(*´∀`*)ノ

そして、もちろん、大人も大歓迎!
クリスマスの歌やゲーム、そして、クリスマスのお話を、小さなお子さん&大きなお子さんたちとご一緒に、童心に帰った気持ちで楽しんでみませんか?

教会学校とか、キリスト教とか、今まで縁がなかったという方も大歓迎ですよ(^_-)-☆

事前にご連絡いただけると助かりますが、当日の飛び入り参加も大歓迎です。

どうぞ、ご遠慮なくいらしてくださいね(^▽^)/

教会学校のスタッフ一同、ふるってのご参加を心からお待ちしております!ヾ(*´∀`*)ノ


主催/お問い合わせ
キリスト教会 九州福音センター
TEL:092-413-1778(留守電あり)
Mail:kyushu@mission.or.jp



2018年11月20日火曜日

さあ、キリストのおられるクリスマスを!

2018/11/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。
11月も後半になると急な冷え込みの日もあり、いかにも晩秋といった風情となってきました。大乱痴気仮装大会と化したハロウィーンの余波か、今年は、世の中のクリスマス・シーズンがやたらと早く始まった印象があるのですが、いずれにしてもこれからの日々を、本当のクリスマスの意味を知っている者として、心からの喜びや感謝の溢れるときを歩んでまいりましょう。あなたのクリスマスへと向かう毎日に、祝福をお祈りします。



専門家の間でも意見は正反対!


 胃がん予防のために注目されているピロリ菌の検査や除菌ですが、先日、日本小児栄養消化器肝臓学会は、15歳以下の子どもには胃がんのリスクを低減できる科学的根拠がないため、検査や除菌の実施を推奨できない、と発表しました。しかし、ヘリコバクター学会は、小児期のピロリ菌感染が大人になっての胃がんにつながる、としてなるべく早い時期からの検査や除菌の効果を指摘しています。同じ癌の専門家の間でも、意見は真っ向から対立し、実は本当の答えはまだ分かっていないのです。

 確かに、類似のケースとして、子宮頸がん予防のためのワクチン投与の効果に関しても、また、乳がん診断に関するマンモグラフィーの意義などについても、専門家の医師や研究者の間で意見は真っ向から対立しており、こんなに知識や情報の溢れ返る現代においても、まだまだ“正解”が見い出せない状況にあるのです。頭が良いから、人間の持つ治世に信頼すれば大丈夫、というにはほど遠く、まだまだ過信してはならないレベルなのです。



クリスマスの主役は誰?


 先日、出張先の福岡で、大きな本屋さんに入り、すでに作られていたクリスマス関連の書籍コーナーを眺めていたのですが…。ざっと数えて113冊の絵本や童話、料理や装飾等の本の中で、タイトルや表紙で取り上げられている一番人気はサンタクロースが断トツで37冊に上りました。そのあとはトナカイとかウサギとか猫などが一桁台で数を競っていたのですが、クリスマスの主役であるはずの“イエス・キリスト”が取り上げられていたのは、何と2冊しかありませんでした。その内の一冊は、“こども聖書物語”でした。

 クリスマス(Christmas)とは、キリスト(Christ)+礼拝・儀式・祭り(mas)で成り立つ言葉ですので、ベタであることを承知で日本語に訳せば“キリスト祭り”ということになります。すなわち、私たち人間の持つ罪や歪んだ性質などを取り除き、神からの平和と愛に生きることができるようにするために、この世に現れてくださった救い主キリストの誕生をお祝いする時なのです。言わずもがなですが、クリスマスの主役はサンタクロースではなく、ケーキでもフライドチキンでも、ツリーやプレゼントでもなく、やはり救い主イエス・キリストなのです。



キリストのいるクリスマス、いないクリスマス!


 イエス・キリストの時代から2000年も時が流れると、当然、クリスマスの理解や祝い方にも違いが生じてきます。“救い主”の到来、ということなのですが、2000年の間に人間は随分と賢くなった感覚を持っていて、“神様なんて信じなくても幸せになれる”と思っている人が実にたくさんおられます。“キリストのいないクリスマスで充分、いろいろと楽しめる工夫をしているから!”…そんな声が巷から聞こえてきます。

 本当にそうなら、私がとやかく言う必要はないのですが、実際には、文化文明は確かに進歩しており、知識は増大し、生活は快適になっているものの、肝心な人の心は全然幸せにはなっていないのです。それどころか、昨今の犯罪や個々の病気の拡がりを見ると、むしろ不幸や失望の方が大きくなっているのでは、と思ってしまいます。本当は今も“キリストのいるクリスマス”が必要なのではありませんか?



キリストにより与えられる救い…魂の深みにおよぶ幸福!


 私は今でも、この21世紀においても“キリストのおられるクリスマス”が本当に必要だ、いや、こんな複雑な世の中だからこそ、私たちの心の根底の悩みや魂のど真ん中の問題からも救い出してくださる本物の救い主が必要だと感じています。神の御子である主キリストの、この世への到来を記した聖書の箇所には、こう記されています。

しかし、この方を受け入れた人々、
すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。
( ヨハネの福音書 1章12節 )


 様々な分野の専門家がそれぞれに、こうすれば、ああすれば、とおのおの幸福論を説いていますが、意見がぶつかり合うだけで何の埒も明かないのが現状。実は、人間の本当の幸福とは?ということが分かっていないのです。それに対して、聖書は、いのちの与え主である神様の視点から、救い主キリストを信じ受け入れることにより、感情が心よりもさらに深い、存在の霊的な部分にまでおよぶ救い、神の子どもとされる特別な種類の幸せが与えられることを約束しています。



クリスマスの主役は誰?


 クリスマスは、本来、楽しいだけの演出で終わるものではありません。救い主キリストとの個人的な関係を構築することにより、いのちの喜びや罪からの解放、人生の目的や愛するべき人々の存在など、あなたの人生の中心部分を豊かにさせ、幸せへと導く神様からの恵みが満ち溢れる特別な祝いの時なのです。

  1. 他の誰かではなく、キリストにだけあるもの! (マタイ 11:28)
    クリスマスが、2000年も祝われ続けられているのには理由があります。他の何ものも成し得ない、キリストにしかないもの、キリストのもとにしかないものが存在します。“救い”の奥深さを体験してください。
     
  2. 他の資格や地位ではなくキリストの名や権威というもの! (使徒 4:12)
    クリスチャンは、2000年間に亘って、“キリストの御名”で祈ってきました。形式や伝統だから、ではなく、この救い主の御名には力があり、他の何ものも持ちえない権威があることを知っているからです。
     
  3. お金ではなくキリストにある価値ということ! (ルカ 9:25)
    この世ではお金がすべて…という考え方もあります。しかし、お金を差し置いても、手にすべき大きな価値や恵みが、救い主キリストと共に歩む人生には備えられています。人生を掛けるに値する大きな恵みです。
     
  4. どんな人間関係よりも深いキリストと共にあるということ! (マルコ10:29~30)
    人生は出会いによって決まります。しかし、どんな人との出会いよりも深く、豊かな恵みが、主キリストとの出会いには備えられています。あなたを変える真に人格的な恵みがキリストにはあります。
     
  5. どんな夢や希望にもまさるキリストと共にある未来! (ピリピ1:6)
    人生の充実や生きがいのためには、目先の事柄のみならず、夢や希望が必要であることは誰もが気付いています。しかし、世の中のものとは比べ物にはならない深い次元での希望が、主キリストにあります。



もしキリストがお生まれにならなければ?


 単にケーキを食べ、プレゼントを交換し、家族や恋人、友人たちと演出の効いた時を過ごす…これ以上の、とてつもなく大きな喜びが、本物のクリスマスには秘められていることをあなたにも知っていただきたいのです。主キリストのこの世への到来は、実はあなたの存在と深い関係を持つものだからです。主は今も生きて働いておられます。

 今年のクリスマスも、各地を回り、歌い、語らせていただきます。その中で、“もしキリストがお生まれにならなければ…”と語らせていただきます。もしキリストがお生まれにならなければ、あなたの人生は今の光ある歩みとは縁遠い、暗く重いもののままだったのですから。ぜひ、心の底から喜びの溢れるクリスマスを体験してまいりましょう。



さあ、ご一緒に祈りましょう!


 さあ、次の祈りを、あなたも一緒に祈ってみてください。祈るあなたの心に、主は御言葉を響かせ、働きかけてくださるはずです。

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天の神様。どうか私の本年のクリスマスを、本当の喜びと感謝に包まれるものとしてください。

わがままになったり、高ぶったりすることなく、あなたの導きや恵みに素直に感動できる私とならせてください。

不足ではなく、与えられた恵みに感謝できますように。

主イエス様。あなたが私の救い主となってくださるために、この世に来てくださったことを感謝します。

罪に汚れて、弱さやいい加減さを持つ私ですが、どうか私の心に宿り、私の主、救い主となってください。

主よ、常に、あなたと共に歩む人生をお与えください。

聖霊なる神様。聖書の約束通りに、私の心を満たし、喜びと讃美の溢れる毎日を実現させてください。

私の心を励まし、自分の力を超える、不可能を可能性はとさせる神の恵みを実体験させてください。

私がどこにいても、何をしていても、常に導き助けてください。

主キリストの御名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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 祈りの必要を感じた時は、何事も、まず祈ることで、問題は必ず解決に向かいます。神様は祈りに答え、決して遅れることなく助けてくださり、守りと祝福を現してくださいます。常識や人の力を超える、まさに神様からの力や助けを期待し、それを実際に体験してまいりましょう。

 さあ、私たちはどのような場合でもクリスチャンらしく、神様に目を向けて、信仰を働かせてまいりましょう。信仰による勝利を体験しましょう。

 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。

2018年11月1日木曜日

九州福音センター 11月の集会案内

11月4日(日) 午後7時~
礼拝
説教者 万代栄嗣
ASC(アスク)ビル
福岡市博多駅東1丁目16-25
(JR博多駅筑紫口より、徒歩約4分)


11月12日(月) 午後7時~
祈祷会
説教者 万代栄嗣
グリーンホテル・アネックス 2階
福岡市博多区博多駅中央街4-32
(博多駅筑紫口 すぐ側)


11月25日(日) 午後7時~
礼拝
説教者 万代栄嗣
ホテル・サンライフ2・3号館 3階会議室
福岡市博多区博多駅東1-12-3
(JR博多駅筑紫口 正面)

信仰生活の基本を大切に!

2018/11/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より
  • 人間には、「概日(がいじつ)リズム…サーカディアンリズム」と呼ばれる、約24 時間サイクルの体内時計、生物時計があると言われています。それにより、食事や睡眠、排泄などのための、体温や血圧、ホルモン分泌、脳の活動などが適切に行われているのだそうです。それが、不規則な生活習慣などにより、この体内時計が狂うと睡眠障害や糖尿病などの生活習慣病を引き起こす原因ともなり、日中の脳機能を低下させ、健康を阻害するリスクを高めることになるのだとか。癌や認知症の発生のメカニズムとも関連するのでは、とも言われ始めています。

  • 当然、昨今の夜型の生活習慣、夜勤・日勤の繰り返しによる不規則な就労時間などの影響により、この体内時計の乱れを体験している人が急増しているのでは?と疑われ始めています。厚労省によれば、現在、夜勤をする人の数は、約1200 万人。平均睡眠時間が6 時間未満の人の割合は、働き盛りの40 代で、男女とも約半数で、そういう人々の間で、休養が十分ではない、いつも疲れている、と感じている人が増えているようです。今後、厚労省でも、様々なデータを収集、解析し、事態の把握のための動きを整えるようです。

  • 考えてみれば、人類が何千年も何万年もかけて獲得した、人としての生活リズムを、わずかここ数十年の社会や生活習慣の変化で変えてしまおうとしているような状況なのですから、無理がたたり、健康に悪影響が出始めてもおかしくありません。食事や睡眠など、人としての基本の部分を正しく整えるのは、当たり前のことなのですが、健康の維持のためには何よりも有益なことかもしれません。

  • クリスチャンとしての霊的な生活習慣のことも、ふと考えてみました。現代の慌ただしい状況の中での信仰生活です。どうしてもドタバタしている感をぬぐえません。忙しさの中での信仰生活が当然のように思われているのですが、日曜礼拝に行く時間も、毎日、ホンの少しでも聖書を読む時間もないような暮らしぶりでは、クリスチャンとしての霊的な体内時計が狂い、信仰が正常に機能しなくなってもおかしくはない事態に陥っているのではないか…と不安を感じてしまいます。

  • “Brush Up!…与えられた信仰を整え直し、働かせよう!”とのテーマを掲げ、ここまで歩んできた2018 年の日々なのですが、あなたの信仰生活の基本は大丈夫ですか? 私たちが掲げる、信仰生活の7 原則に関わる諸領域は、しっかりと守られ、整えられているでしょうか? 本年の終わりを見据えて、あなたの礼拝、聖書、祈り、献金、奉仕、伝道、交わりのそれぞれの分野で、当たり前の信仰生活が機能しているかどうかを、もう一度確認してみてください。基本こそが、最重要な事柄なのです。

  • 現代人だからと言って、今までの信仰者と別の信仰の持ち方がある訳ではありません。聖書が教える通りの、当たり前のことを当たり前にやっていれば、私たちは必ず祝福されるのです。忙しさの中で、祈ることすら疎かにするような貧しい霊的状況に陥らないよう注意してください。神様と交わる時間を大切にしてください。主にある兄弟姉妹との、神の家族としての時間を軽んじないでください。そこに、あなたの豊かな幸せの鍵があります。


“…彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
…そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、
喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。
主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。”
(聖書:使徒の働き2 章42、46-47 節)