2018年11月20日火曜日

さあ、キリストのおられるクリスマスを!

2018/11/20付 万代栄嗣牧師「福音通信」より

 主キリストの聖名を讃美いたします。
11月も後半になると急な冷え込みの日もあり、いかにも晩秋といった風情となってきました。大乱痴気仮装大会と化したハロウィーンの余波か、今年は、世の中のクリスマス・シーズンがやたらと早く始まった印象があるのですが、いずれにしてもこれからの日々を、本当のクリスマスの意味を知っている者として、心からの喜びや感謝の溢れるときを歩んでまいりましょう。あなたのクリスマスへと向かう毎日に、祝福をお祈りします。



専門家の間でも意見は正反対!


 胃がん予防のために注目されているピロリ菌の検査や除菌ですが、先日、日本小児栄養消化器肝臓学会は、15歳以下の子どもには胃がんのリスクを低減できる科学的根拠がないため、検査や除菌の実施を推奨できない、と発表しました。しかし、ヘリコバクター学会は、小児期のピロリ菌感染が大人になっての胃がんにつながる、としてなるべく早い時期からの検査や除菌の効果を指摘しています。同じ癌の専門家の間でも、意見は真っ向から対立し、実は本当の答えはまだ分かっていないのです。

 確かに、類似のケースとして、子宮頸がん予防のためのワクチン投与の効果に関しても、また、乳がん診断に関するマンモグラフィーの意義などについても、専門家の医師や研究者の間で意見は真っ向から対立しており、こんなに知識や情報の溢れ返る現代においても、まだまだ“正解”が見い出せない状況にあるのです。頭が良いから、人間の持つ治世に信頼すれば大丈夫、というにはほど遠く、まだまだ過信してはならないレベルなのです。



クリスマスの主役は誰?


 先日、出張先の福岡で、大きな本屋さんに入り、すでに作られていたクリスマス関連の書籍コーナーを眺めていたのですが…。ざっと数えて113冊の絵本や童話、料理や装飾等の本の中で、タイトルや表紙で取り上げられている一番人気はサンタクロースが断トツで37冊に上りました。そのあとはトナカイとかウサギとか猫などが一桁台で数を競っていたのですが、クリスマスの主役であるはずの“イエス・キリスト”が取り上げられていたのは、何と2冊しかありませんでした。その内の一冊は、“こども聖書物語”でした。

 クリスマス(Christmas)とは、キリスト(Christ)+礼拝・儀式・祭り(mas)で成り立つ言葉ですので、ベタであることを承知で日本語に訳せば“キリスト祭り”ということになります。すなわち、私たち人間の持つ罪や歪んだ性質などを取り除き、神からの平和と愛に生きることができるようにするために、この世に現れてくださった救い主キリストの誕生をお祝いする時なのです。言わずもがなですが、クリスマスの主役はサンタクロースではなく、ケーキでもフライドチキンでも、ツリーやプレゼントでもなく、やはり救い主イエス・キリストなのです。



キリストのいるクリスマス、いないクリスマス!


 イエス・キリストの時代から2000年も時が流れると、当然、クリスマスの理解や祝い方にも違いが生じてきます。“救い主”の到来、ということなのですが、2000年の間に人間は随分と賢くなった感覚を持っていて、“神様なんて信じなくても幸せになれる”と思っている人が実にたくさんおられます。“キリストのいないクリスマスで充分、いろいろと楽しめる工夫をしているから!”…そんな声が巷から聞こえてきます。

 本当にそうなら、私がとやかく言う必要はないのですが、実際には、文化文明は確かに進歩しており、知識は増大し、生活は快適になっているものの、肝心な人の心は全然幸せにはなっていないのです。それどころか、昨今の犯罪や個々の病気の拡がりを見ると、むしろ不幸や失望の方が大きくなっているのでは、と思ってしまいます。本当は今も“キリストのいるクリスマス”が必要なのではありませんか?



キリストにより与えられる救い…魂の深みにおよぶ幸福!


 私は今でも、この21世紀においても“キリストのおられるクリスマス”が本当に必要だ、いや、こんな複雑な世の中だからこそ、私たちの心の根底の悩みや魂のど真ん中の問題からも救い出してくださる本物の救い主が必要だと感じています。神の御子である主キリストの、この世への到来を記した聖書の箇所には、こう記されています。

しかし、この方を受け入れた人々、
すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。
( ヨハネの福音書 1章12節 )


 様々な分野の専門家がそれぞれに、こうすれば、ああすれば、とおのおの幸福論を説いていますが、意見がぶつかり合うだけで何の埒も明かないのが現状。実は、人間の本当の幸福とは?ということが分かっていないのです。それに対して、聖書は、いのちの与え主である神様の視点から、救い主キリストを信じ受け入れることにより、感情が心よりもさらに深い、存在の霊的な部分にまでおよぶ救い、神の子どもとされる特別な種類の幸せが与えられることを約束しています。



クリスマスの主役は誰?


 クリスマスは、本来、楽しいだけの演出で終わるものではありません。救い主キリストとの個人的な関係を構築することにより、いのちの喜びや罪からの解放、人生の目的や愛するべき人々の存在など、あなたの人生の中心部分を豊かにさせ、幸せへと導く神様からの恵みが満ち溢れる特別な祝いの時なのです。

  1. 他の誰かではなく、キリストにだけあるもの! (マタイ 11:28)
    クリスマスが、2000年も祝われ続けられているのには理由があります。他の何ものも成し得ない、キリストにしかないもの、キリストのもとにしかないものが存在します。“救い”の奥深さを体験してください。
     
  2. 他の資格や地位ではなくキリストの名や権威というもの! (使徒 4:12)
    クリスチャンは、2000年間に亘って、“キリストの御名”で祈ってきました。形式や伝統だから、ではなく、この救い主の御名には力があり、他の何ものも持ちえない権威があることを知っているからです。
     
  3. お金ではなくキリストにある価値ということ! (ルカ 9:25)
    この世ではお金がすべて…という考え方もあります。しかし、お金を差し置いても、手にすべき大きな価値や恵みが、救い主キリストと共に歩む人生には備えられています。人生を掛けるに値する大きな恵みです。
     
  4. どんな人間関係よりも深いキリストと共にあるということ! (マルコ10:29~30)
    人生は出会いによって決まります。しかし、どんな人との出会いよりも深く、豊かな恵みが、主キリストとの出会いには備えられています。あなたを変える真に人格的な恵みがキリストにはあります。
     
  5. どんな夢や希望にもまさるキリストと共にある未来! (ピリピ1:6)
    人生の充実や生きがいのためには、目先の事柄のみならず、夢や希望が必要であることは誰もが気付いています。しかし、世の中のものとは比べ物にはならない深い次元での希望が、主キリストにあります。



もしキリストがお生まれにならなければ?


 単にケーキを食べ、プレゼントを交換し、家族や恋人、友人たちと演出の効いた時を過ごす…これ以上の、とてつもなく大きな喜びが、本物のクリスマスには秘められていることをあなたにも知っていただきたいのです。主キリストのこの世への到来は、実はあなたの存在と深い関係を持つものだからです。主は今も生きて働いておられます。

 今年のクリスマスも、各地を回り、歌い、語らせていただきます。その中で、“もしキリストがお生まれにならなければ…”と語らせていただきます。もしキリストがお生まれにならなければ、あなたの人生は今の光ある歩みとは縁遠い、暗く重いもののままだったのですから。ぜひ、心の底から喜びの溢れるクリスマスを体験してまいりましょう。



さあ、ご一緒に祈りましょう!


 さあ、次の祈りを、あなたも一緒に祈ってみてください。祈るあなたの心に、主は御言葉を響かせ、働きかけてくださるはずです。

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天の神様。どうか私の本年のクリスマスを、本当の喜びと感謝に包まれるものとしてください。

わがままになったり、高ぶったりすることなく、あなたの導きや恵みに素直に感動できる私とならせてください。

不足ではなく、与えられた恵みに感謝できますように。

主イエス様。あなたが私の救い主となってくださるために、この世に来てくださったことを感謝します。

罪に汚れて、弱さやいい加減さを持つ私ですが、どうか私の心に宿り、私の主、救い主となってください。

主よ、常に、あなたと共に歩む人生をお与えください。

聖霊なる神様。聖書の約束通りに、私の心を満たし、喜びと讃美の溢れる毎日を実現させてください。

私の心を励まし、自分の力を超える、不可能を可能性はとさせる神の恵みを実体験させてください。

私がどこにいても、何をしていても、常に導き助けてください。

主キリストの御名前により、豊かな祝福を信じてお祈りいたします。アーメン。

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 祈りの必要を感じた時は、何事も、まず祈ることで、問題は必ず解決に向かいます。神様は祈りに答え、決して遅れることなく助けてくださり、守りと祝福を現してくださいます。常識や人の力を超える、まさに神様からの力や助けを期待し、それを実際に体験してまいりましょう。

 さあ、私たちはどのような場合でもクリスチャンらしく、神様に目を向けて、信仰を働かせてまいりましょう。信仰による勝利を体験しましょう。

 あなたの上に、主キリストの圧倒的な祝福をお祈りいたします。