2018年12月1日土曜日

◆“最強のクリスマス”をあなたに!

2018/12/1付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より



  • “最強のクリスマス”などと言うと、確かにちょっとヘンテコな表現なのですが…。でも、そんな力強いクリスマスの祝福を、あなたにもしっかりと受けとめてほしいのです。聖書が語るオリジナルのクリスマス、正真正銘のクリスマスは、そんなふうに表現して良いほど、力と可能性に溢れたものなのです。

  • クリスマス・ツリーを可愛らしく飾る…、街には美しいイルミネーションが輝く…、商店街を歩けばどこからともなくクリスマス・キャロルの調べが響いてきて…、楽しいクリスマス・パーティーを企画して心がウキウキして…、もちろん、愛する人々へのクリスマス・プレゼントを心を込めて用意して…、サンタクロースに扮して子どもたちに配り…と、どれもクリスマスに関わる温かなイメージですし、悪いものではありませんし、むしろ良いもの、人の心を幸せにするものです。しかし、それがクリスマスの本質か?と言えば、そうではありません。実は、もっと力に溢れたものなのです。

  • 世界で最初のクリスマスから2000年も経つと、クリスマスに付随するイメージはいろいろな方面に拡大し、中には歪められたり、全く的外れなものまで生まれてきます。たとえば、田舎町の教会で、玄関先の木にクリスマスの飾り付けをしようとしていた牧師さんに、近所のおじさんがそのツリーを見上げなら言ったというのです、「へぇ~、最近は教会でもクリスマスをするんですかぁ?」。あるいは、最近の女子高生同士の会話では、「イエス・キリストって、めっちゃラッキー! だってクリスマスに生まれたから、きっと誕生日ごとに、みんなからたくさんプレゼントもらえるよね?」。あるいは、ある社長さんは、年末の資金繰りや支払いに必死の折、“クリスマス”が“苦します!”にしか聞こえず、“苦します!苦します!”と嫌な響きでしかなかった…とか。

  • “クリスマス(Christmas)”とは、“キリスト(Christ)”と“儀式、祭り(mass)”の合成語で救い主イエス・キリストの誕生を祝う時…“キリスト祭り”を意味します。聖書は、私たちすべての人間の持つ罪や心の汚れを清め、罪を背負って十字架に掛かり、身代わりの死を遂げるために、この世に現れてくださった神の御子、救い主キリストの事実を記しています。神の御子が、救い主として、一人の人としてこの世に生まれるなど、考えられないことでした。そもそも、神の恵みと愛の世界と、愚かで罪深い人間の世界が接点を持つこと自体が、絶対にあり得ない出来事なのです。それを、神の霊、聖霊が働きかけ、不可能を可能にしたのです。そればかりか、この救い主を心に受け入れた人の心や人生にも、人の力の限界を超えた、神による可能性、聖霊が力強く働き、死や絶望、限界や敗北に代えて、大きな恵み、奇跡までもが実現していく、というのです。

  • もっと端的に言えば、この文章を読んでおられるあなたにとって、絶対に不可能で起こり得ないはずの、あなたの弱さを克服し、くじけやすいあなたの心を強め、決して色あせることのない幸せや喜びを実現し、不可能を可能にする神の力が、クリスマスの事実を受け入れるあなたの上にも働く、というのです。クリスマスには、単なるほのぼのとした温かなイメージ以上の、凄まじい力が、事実として秘められており、それを私たちも実体験することができる、というのです。

  • 男性と何の関係もない自分の身体を通して救い主が生まれる、などという荒唐無稽なことは起こらない、と断じるマリヤに対して、御使いガブリエルが語った言葉は、実は今も、私たちに対して有効なのです。ここに、“最強のクリスマス”を宣言する根拠があります。そして、あなたにも、この“最強のクリスマス”の秘訣を受けとめてほしいのです。救い主イエス・キリストの奇跡を、あなたの心で受けとめてください。あなたの心、魂、人生の中に、神の恵みと救いの世界、限りない聖霊の力と可能性の世界が動き始めます。だから、…クリスマス、おめでとうございます!

“…神にとって不可能なことは一つもありません。”
( 新約聖書 ルカの福音書 1章37節 )