2020年2月27日木曜日

◆心の委縮に気をつけよう!

2020/03/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

ただ今、大阪の豊中市では、小さな社会実験が進行中です。それは、小学4年生の提案に基づき、トリックアートを用いての、路上での迷惑駐輪を抑制しようというもの。小学生の描いた花壇の絵をトリックアートにして、歩道に貼ることにより、迷惑駐輪をしようとするとそこに確かに花壇が立ち上がっているように見えることでの、抑止効果を狙った実験です。時折、お構いなしに駐輪する不届き者も居りはするものの、ある程度の効果は出ている、とのこと。小学生の発案からの社会実験です。子どもだからと言って、侮れません。人には、元々様々な能力があり、神様から与えられた可能性は無限大だということを改めて思わされます。その可能性を生かして伸びやかに生きましょう。


他方、新型コロナ・ウィルス感染症に関しては、日替わりで状況が変化し、徐々に日本国中が総神経症状態になりつつあります。天皇誕生日の一般参賀が取りやめになり、東京マラソンも3万8千人の一般参加者のレースは中止に。今後も雪崩式に、各種のイベントが取りやめられるはず。用心に越したことはないのは分かりますが、その根底に、日本人独特の真面目さや細かさが、消極的・否定的姿勢や臆病な雰囲気へと過剰に醸成させつつある傾向を感じて、私はもっと平然としているべきだと思わされています。アメリカなどは、季節性インフルエンザの猛威の中で2,600万人の罹患、1万4千人の死者が出ている、というとんでもない状況なのですが、コロナ・ウィルスで今の所3名の方が亡くなった日本の方が、よほど過敏に反応し、国を挙げて大騒ぎしているようです。


当然、手洗いやうがい、必要ならばマスクも着用し、部屋の換気やテーブルなどの消毒…と当たり前のことしか実際にはできない訳ですから、あまり慌てない方が良いと思います。感染しても軽症だったり、無症状の人が8割、致死率は2%以下…とのことで、SARS(サーズ:重症急性呼吸器症候群)の時の致死率10%などと比べれば、いきなりパニックになることでのリスクや社会全般に対する悪影響の方が心配です。


もちろん、今回の新型コロナ・ウィルス感染症を侮ってはいけません。しかし、同時に私たちの心や気持ちが、無闇に委縮し、個々人の生き方も、社会全体の様相も、窮屈で閉所に閉じ込められ追い詰められたような感覚に陥ることには注意が必要です。びくびくしてあれこれの事柄が不安になってくると、私たちの人生には、危険や不安に繋がる要素は山ほどあることになります。家から外に出れば、今日、交通事故に遭遇するかもしれませんし、人と知り合いになれば、いつ裏切られるか、そのリスクも無視できません。スポーツに励めば、怪我をするリスクが急増するのですから、身体を鍛えるなんて考えない方が良い…となりますし、子どもを産んだりすると、将来大変な手間と費用、精神の負担を抱え込むことになる訳ですから、結婚や子育てなど、元から考えない方がましだ…ということにもなりかねません。


人生に潜む危険や躓きに対しての警戒や用心を怠ってはなりませんが、同時に臆病でおどおどした態度に陥らないよう気を付けたいと思います。私たちの人生に、問題や試練、困難や危険は常に付き物です。しかし、だからと言って、人生を価値のないもののように考えたり、問題に遭遇することを過度に嫌ったり、人々との出会いすら怖がるようになっては、自分の想像を超えるような人生の喜びや楽しさと出会うことなど、良いものが全て消滅してしまいます。何かが起こる前から排除する…過敏すぎる神経症的認識に陥りかねません。それは、実は残念な生き方なのです。


私たちはそれぞれ、いのちの与え主である神様に置かれた場所で、精一杯に生きてまいりましょう。日々を喜びつつ、神様からの力をいただき、主キリストの愛にいつも満たされ、聖霊の導きの中で、祈り讃美しつつ毎日を大胆に生きてまいりましょう。生きるのが一筋縄ではいかない、確かに生きるのに難しい時代です。だからこそ、シンプルに素直に、神様からの力や可能性を信じて、笑顔と讃美、祈りの力で前進して行きたいと思います。困難や問題に直面する時には、神様からの助けを求めましょう。あなたの心が、今の事態の中で決して委縮してしまうことがありませんように。


“神が私たちに与えてくださったものは、
おくびょうの霊ではなく、
力と愛と慎みとの霊です。”
(新約聖書:テモテへの手紙 第二 1章7節)