2020年4月4日土曜日

◆小さな挑戦、変革を忘れずに!

2020/04/01付 万代栄嗣牧師「ぐっどにゅーす」より

先日、出張先の東京で、泊まったホテルで早起きして、早朝から原稿書きに励んでいました。すると、午前6時になった頃、どこからが目覚ましの音が…。壁越し?に隣の部屋から、どこかで耳にしたことのあるアラーム音が、さほどやかましくはないものの響いてきていたのでした。10秒くらいで消えたでしょうか?…すると、5分後にまた、同じアラーム音が…。これも程なくして止まったのですが、さらに5分後に…。


…あ、私みたいな人がいる…と思ってしまいました。朝の苦手な私は、いつも目覚ましを5分、10分毎に何度も鳴らして、やっと起きる…というパターン。典型的な夜型人間で、夜中はいつまでもダラダラと起きて、何かゴソゴソし続けるのですが、朝、自然に気持ちよく目覚める…というのがほとんど記憶にありません。早起きして、早朝に散歩に出かける人などは、心から“尊敬の眼差し”状態なのです。


その昔、大学生になった頃は、深刻に悩みました。“あさイチ”の時間帯で、英語やドイツ語など、いわゆる“語学”の授業が並んでおり、それらを落としてしまうと進級に影響が出たり、最後は卒業できなかったり…と大きな痛手が後を引くからです。今から40年も前のことですから、いわゆる目覚まし時計に頼る他なく、気が付けば5個も、6個も、けたたましく鳴る目覚まし時計を、部屋のあちらこちらに配置して、無意識で消したりせずに、ちゃんと起きることができるように、と早起きの人からすれば実に下らない工夫を凝らしていました。“春眠、暁を覚えず…”などと孟浩然の故事を頼りにうそぶいてみたりもしましたが、要は朝が苦手なだけなのです。


ここ最近は、新型コロナ・ウィルス感染症の話題で社会全体が揺れており、本格的な春が到来したのも気づかないまま。しかし、実際は、桜が美しく咲く、うららかな日本の春がやってきています。本来は、すでに卒業式や春休みの話題が巷に溢れていたはずで、これからは入学や就職、歓送迎会やお花見でいろいろと盛り上がる時期でもあったはずです。それが、いつの間にか忘れ去られ、何だか重苦しい雰囲気のまま新年度の開始となってしまいました。仕方がない、と言えば確かにそうなのですが、ただそれだけの鬱々とした日々で終わるのも残念です。私たち個々人の生活においては、春の到来を喜び、これからの春夏秋冬、新たな一年を見据えて、しっかりと目標を意識したいですし、自分自身を成長させ、飛躍させることも考えたいと思います。自分の欠点や弱点の克服のためにチャレンジすることにも、改めて、取り組んでみたいと思います。


今、社会がそんな雰囲気ではないから…とか、そんなことを考える心のゆとりが無いから…とか、自分の経済状況や家族の環境が整っていないから…とか、ずっと誰かや何かのせいにして責任転嫁を繰り返し、自分を変えたり、成長させようとすることに取り組むことを軽んじてはいけません。神様から与えられたいのちは、天国に召される時まで、様々な意味合いにおいて成長し続けるべきなのです。体力や学問での学び、お金を儲けることなどの、わかり易い成長だけでなく、人を愛する行動や、祈りや感謝における霊的な分野においても、進歩や成長という価値ある歩みを意識したいと思います。


あなたが苦手だと思っている事がらにおいても、もう一度チャレンジしてみませんか? 自分を変えよう、成長させよう、神様からの力をいただいて自分の限界や壁だと思っているものに挑戦してみよう…という思いを大切にしてください。この春の日々は、コロナ・ウィルスに振り回されて、世の中全体が閉塞感に閉じ込められています。そんな時だからこそ、信仰を働かせての積極的な思いと行動には、大きな意味があります。大袈裟なことをしよう、というのではありません。神様に祈りつつ、小さな成長、自分をさらに神様に喜ばれる者へと変えようという姿勢を、いつも忘れないことです。


“それはそれとして、私たちはすでに
達しているところを基準として、進むべきです。”
(新約聖書 : ピリピ人への手紙 3章16節)